異世界ファンタジー小説「アームドール 薄暗い森をこえて」

(C)ぱくたそ

「分かっているな、コレット・ミシュレ。お前は決してしてはならないことをしたのだ」
その言葉の重たい響きに押し潰されそうで、コレットことココはただうつむくことしかできなかった。
「姫のお世話係であるお前が、よりによって姫の脱走の手助けなど……」
所長であるニールが大仰にため息をつくのを、息がつまりそうな苦しさの中で聞く。
恩人であり主人でもあるひとを怒らせてしまっているという現実に、ココの心は容赦なくさいなまれた。
けれど、決して謝りはしない。これは、ココ自身がそうしたいと決めたことなのだ。

コレット・ミシュレは孤児だった。生来の、ではない。
幼い頃は貧しいながらも暖かい家庭で、幸せな毎日を過ごしていた。その頃の思い出は、今もココの胸にひっそりと息づいている。けれど七歳の誕生日、生まれ育った山村が盗賊の一味に襲われ、ココは孤児になってしまった。厳しい両親も、優しかった兄も、帰ることのできる家も、目の前ですべてを失ったのだ。真っ暗になったココの人生。その絶望の最中に出会ったのが、ニールだった。決して安くなかったのに、目が気に入った、と変わったことを言ってニールはココを買った。どんなひどい目にあわされるのかと怯えているココの前に差し出されたのは、一杯のホットミルク。まともな食事、召し使いの衣服、一人用の部屋――。ニールの研究所での生活は、物質的に見れば生まれ育った山村よりも確実に豊かなものだった。だからココにとってニールは、雇い主たるご主人様であると同時に命の恩人だ。ひとりの人としての生を送ることはかなわないはずだったココに、人間らしく生きるチャンスを与えてくれたのだから――。
だがその恩人に、ココは背いてしまった。

「お嬢様……大丈夫でしょうか……」
コレット・ミシュレは狭い窓から外を見て、ひとりつぶやく。規則正しい振動が、痩せた身体を心地よく揺すっていた。馬車の荷台に乗せられているのはコレットひとりきりだ。もともとが貨物を運ぶための馬車らしく、荷台から騎手の姿は見えない。狭い荷台の端にちょこんと三角座りして、自分はまるで市場に売られていく家畜のようだと思った。
――六年間も住み込みで勤めた研究所を身一つで追い出されたのは、今朝早くのこと。
「コレット。来なさい」
いつも理不尽な所長に呼びだされて研究所の外へ出れば、有無を言わせずおんぼろな馬車に乗せられた。
「分かっているな、コレット・ミシュレ。お前は決してしてはならないことをしたのだ」
その言葉の重たい響きに押し潰されそうで、コレットことココはただうつむくことしかできなかった。
「姫のお世話係であるお前が、よりによって姫の脱走の手助けなど……」
所長であるニールが大仰にため息をつくのを、息がつまりそうな苦しさの中で聞く。恩人であり主人でもあるひとを怒らせてしまっているという現実に、ココの心は容赦なくさいなまれた。けれど、決して謝りはしない。これは、ココ自身がそうしたいと決めたことなのだ。
馬車はこれからどこへ行くのか、自分はどうなるのか。
疑問に答えるどころかろくに質問すら聞いてもらえなかったことを思えば、行き先は奴隷市場なのかもしれない。
何しろ、自分は所長を裏切ったのだ。
そう、裏切った。
奴隷だった自分を買い、綺麗な服と食べ物と住む部屋を与え、お嬢様のお世話係という全うな仕事をくれたひとを。
「はあ……」
無意識のうちにため息が漏れる。自分の選んだ道とはいえ、これから先が不安で仕方なかった。そして、お嬢様が今どうしておられるのかも。お嬢様は央の小国で一、二を争う学者だ。弱冠十二歳にして創り出したものは多く、それらは国の防衛に多大なる貢献をしている。けれど堂々たる肩書きとは裏腹に、お嬢様は我が儘で寂しがりやで、心優しいだけの少女だった。そんなお嬢様のことをコレットは妹みたいに可愛がり、お嬢様もまたコレットにだけは使用人の中で唯一心を開いていた。
お嬢様には友達が二人だけいた。コレットと、機械人形のゼン君だ。ゼン君は見かけは人間の少年だが、機械で出来ていて最新鋭の武器を搭載しているという。けれどゼン君はどこからどうみても普通の人間にしか見えなかった。ドジを踏んでばかりのコレットを親切にフォローしてくれたこともある。長年孤独だったお嬢様に至ってはゼン君を家族同然に思っていたようだった。だからゼン君を受け渡すよう小国軍に言われて、お嬢様は拒否した。ゼン君と共に研究所からの逃亡を図ったのだ。コレットはその逃亡を手伝い、結局コレットひとりだけが捕まってしまった。所長の命令に背いたのだから、売られてしまうのは仕方ない。けれど、お嬢様がどうしているのか、それだけは心配だった。もうあの可愛い微笑みを見ることはないのだろうか――そう思えば、知らず知らずのうちにまたため息が漏れる。
行き先はどうやら北の方角だ。太陽が頭の上に来た頃から、荷台の揺れは激しさを増す。地図を頭の中に思い描き、盆地に位置する小国の領土を突っ切って北の森に入ったのだろうと見当をつけた。
北の森――央の小国と北の帝国との間をつなぎ、月の砂漠を東西に分断する一本道の回廊。
自分はどうやら北の帝国に売られるようだとコレットは確信する。
北の帝国。央の小国の北に位置する、魔法文明が発達した強大な国。もともとは北の帝国の没落した貴族の一族が北の森を抜けて、央の小国の元を作ったという。いわば、北の帝国は央の小国の親みたいな国だ。
本の中でしか知らない知識を合わせて考えてみる。自分は北の帝国のどんな場所へ連れていかれるのだろうか、と。北の帝国には昔から奴隷制度が存在しない。農作業や鉱山採掘、建築といった単純労働は、奴隷ではなく魔法の力に頼りきっているという。では、また金持ちの家の使用人になるのだろうか。単に捨てられて、物乞いとしての生活を強いられるのだろうか。それとも――遊廓にでも売り払われるのだろうか。それはありえなくもなさそうで、心が泥のように重たくなる。
コレットは荷台の隅っこに座り、痩せた膝を抱いた。
思い起こせば、自らの人生には幸せと不幸が交互に訪れていたように思う。
コレットが生まれたのは、西の王国と南の大国に挟まれたところにある名もなき国だった。たいした資源も軍事力もなく、央の小国よりもずっと小さな弱小国家だ。
みんな貧乏だったけれど、にぎやかな笑い声は国中どこに行っても絶えることはなかった。
コレットの両親は優しくも厳しく、兄たちはしたたかで面白い。
いつまでもこの平和な暮らしが続いていくのだと、それが当たり前だと、みんな馬鹿みたいに信じきっていた。当時の自分たちは信じられないくらいに恵まれていたのだと、今ならば分かる。
平和な世界を目指すためには、軍事力を持つべきではない――。いつからか国民たちにそんな考えが定着して、軍隊を縮小していったのが運の尽きだった。
隣国、西の王国による突然の侵攻。平和というぬるま湯に浸かり備えを怠っていた国は、一瞬にして西の王国の単なる一地域になった。コレットがまだ八歳の時のことだ。家は焼かれ、両親と兄たちは死に、コレットは奴隷に身を落とした。
それから二年間の記憶は、思い出すだけでもつらい。幾多の同じような境遇の少年少女と共に、西の王国の城壁を築く作業に従事させられたのだ。そこではコレットたちは人ではなく、人の形をした家畜にすぎなかった。寝る時間も食事もろくに与えられず、来る日も来る日も終わりの見えない重労働にひたすら耐えた。ある時は照りつける太陽に焼かれながら、またある時は降りしきる冷たい雨に打たれながら。もちろん少なからず倒れた者もいた。彼ら彼女らは生きていても馬の死骸と同様にどこかへ引きずられて、そして二度と帰ることはない。身体が動かなくなっても、それでも動くしかなかった。死んだ方が楽だと何度も思ったが、やがてはそんな単純な思考さえ、巡らす余裕が消失する。心なんてものは、邪魔になるだけだ。生きたいともがく本能だけが、空っぽの身体を満たしてくれた。
あとで知ったことだが、西の王国は資源豊かな南の大国の領土の一部を奪おうと目論み、攻め込む間に自国を守る強大な盾を欲していたらしい。けれど今となってはどうでもいい、本当にどうでもいいことだ。
やがてその地域の城壁は完成して、コレットたちはまた別の地域へ輸送されることになる。何台も縦に並んで走る馬車の荷台には、屍のような奴隷たちがぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
突然、馬が耳をつんざくような甲高い悲鳴をあげる。コレットの乗った馬車は急停車したが、もともと周囲の人たちとおしくらまんじゅう状態だったので、どこもぶつけずに済んだ。
「俺らは奴隷制に反対する者だ! 解放されたい者は来い!」
男の力強い叫び声がした。どうやら奴隷制に反対する集団が馬車を強引な方法で止めさせたらしい。西の王国の国民にも、奴隷に対して良心の呵責を感じる人間がいるようだ。けれど、奴隷たちは誰も答えはしない。解放されることなど無理だと分かっているのだ。西の王国において奴隷たちの正当な戸籍はない。いわば市民権が与えられていないのだ。税金を払わなくて済む代わりに、保障の類いは一切ない。もちろん戸籍なしにまともな職を得ることなど不可能だ。だから仮に逃げ出すことができたとしても、野たれ死にする未来は確定だろう。
――けれど、コレットは。開け放された荷台の扉から差し込む日の光、そのあまりの眩しさに。強く、強く、憧れてしまった。
「私、行きます!」
本当に自分が言ったのかと疑ってしまうなほど力強い声が、コレットの口をついてでる。周りの奴隷たちがザワリとざわめき、ぎょっとしたような憐れむような目を向けてくるのが分かった。
薄暗い荷台を降りて外の光に包まれる。その光は確かな祝福の光に見えて、コレットの頬を熱いものが伝っていった。
「ふう……」
コレットは昔のことを思い出すのを中断して、疲れのこもったため息をつく。行き先も伝えられぬまま荷馬車で運ばれるという今の状況は、あの当時とどこか重なってみえた。今回は、どこへ行くのだろう。どこへ行くのだとしても、受け入れなくてはならない。きっとそれが、生きるということなのだ。
馬車は停まらずに、ただひたすら森の中の不安定な道を行く。太陽は少し傾きかけていた。ぐう、と空腹に腹の虫が騒ぎだす。そういえば朝から何も食べていなかった。
コレットの腹の虫が鳴く元気すらなくしたころ、馬車はゆるやかに停まった。
後部の出入り口がひらく。数年前と同じような、まばゆい光が差し込んできた。