時空ループ学園ファンタジー小説「未来からのダイイング・メッセージ」

Roop.02 幼なじみ

「おーい、高島ぁ、彼女が呼んでいるぜ!」
「はあっ!?」
俺、高島 貴志は、思わず声を裏返らせた。
授業と授業の合間の十分間休み。お昼を目前にした三限目と四限目の間ということもあり、一年五組の教室はおしゃべりする生徒たちの声でざわついていた。
そんな中でも、岩内 伊織(いわない いおり)の出した大声は、教室を斜めに通過して、まっすぐ俺の耳へと届いた。大きすぎる音量に、何人か振り返ったクラスメートがいたくらいである。
(彼女って、誰だよ)
単なる人称代名詞であるsheならともかく――俺にloverは、いない。
残念ながら。
さっきの英語の授業に浸食された思考を繰り広げつつ、俺は立ち上がり、いましがた声のした方へ顔を向ける。
教室の後ろの扉には、俺の親友、岩内の姿があった。こんがり焼けた肌に、憎々しいくらい満面の笑顔を浮かべている。黒い学ラン姿は、ちょっとした壁のようにごつい。不審者が来たら、彼に扉のところに立ってふさいでもらえば、ちょうどいいかもしれない。中学のときに所属していた野球部で、体型を理由にキャッチャーに選ばれたのも納得だ。
「彼女? 俺、彼女いねーし……募集中だし」
軽く言い返しながら、机の間の通路を何度か曲がって岩内のところへ向かった。
ちなみに、募集中というのは教室内の女子たちへのさりげないアピールだ。意味があるのかどうかは、定かではない。
扉の周りには、岩内以外の人間はいなかった。
――いや、いた。
岩内の背後にある木製の扉の影から、小柄な女子生徒がひょこっと顔をのぞかせる。幅のある岩内に隠れていて見えなかったのだ。岩内が安定感のある大樹だとすれば、女子生徒はさながら、臆病なリスのようだった。
「か、彼女じゃないよっ」
女子生徒は照れたように頬を赤くして、すぐさま訂正する。首を横に振った際に、思わず触りたくなる柔らかそうな黒髪が、そよ風を包んでふるふると揺れた。チワワみたいに潤んだ黒い瞳に、長く繊細なまつげがかぶさってうっすら影をつくる。
「えー、本当に?」
「本当だ」
俺は、まだ何か言いたげな岩内に向かって、断言した。
当然だ。
本当に彼女なら、俺は今ごろ周囲の男どもの誰かに刺されているに違いない。
黒いセーラー服に、薄い灰色のだぼっとしたカーディガン。袖からは、指の第二関節より下だけがちょこんと見えている。小さな目、鼻、口が、たまご型の輪郭に、計算されたお人形さんみたいに品よく収まっていた。神様の完璧なる計算だ。
女子生徒の名は、しきこ。
男なら誰しもが守ってやりたいという思いをかき立てられるくらい可愛らしい少女であり、我らが都立第五高校のアイドル五人組、FHB5(第五高校ビューティーファイブ)のひとりだ。
実際に彼女らが名乗ったのではなく、男子生徒たちが勝手に言っているだけだが。
「幼なじみなんだよ、言ってるだろ。赤ちゃんの頃から知っているんだから、彼女とか、そーゆーんじゃねーよ」
俺は、何度となく繰り返した言葉を、また繰り返した。
俺と、しきこは、幼なじみだ。
目を閉じれば、まだ頭の毛が一本も生えておらず、「あばー」だの「あくくーん」だの言っていた幼き日のしきこの姿を思い出せる。
あの頃は可愛かった。いや、今も可愛いか。
「そうだよっ。貴志くんは、断じてそーゆーんじゃないんだよっ」
岩内を見上げて、しきこは恥ずかしそうに加勢する。その身長差は、少なくともニ十センチ以上あるだろう。長くそうしていると首が痛くなりそうなので、俺は声をかけてしきこの視線をこっちに誘導してやった。
「で、何の用ですか? 一年四組のしきこさん」
「え、なんでそんなに他人行儀なの!? しきちゃんだよね?」
しきこはレモンスカッシュのように甘く澄んだ声で言い、ショックを受けたように悲しげに眉を下げる。
「はいはい、なんですか、しきちゃん」
周りから見たら茶番だろうな、と思いながら、俺たちは決まりきったやり取りを交わす。しきちゃんと呼ばなかったら、しきこは不機嫌になるのだ。でも頬を膨らませて怒る顔や、しゅんと落ちこむ顔もかわいいから、ついついからかってしまう。
別に、俺はイケメンではない。とりたててモテるわけでも、女慣れしているわけでもない。断じてチャラくもない。
ごく普通の、中学生に毛が生えただけの高校生だ。
クラスメートの女子と話すときは、それなりに緊張する。ちゃんづけで呼ぶなんて、もちろん言語道断。できるわけもない。
しきこだけが違う。
特別だった。
「えっとね、電子辞書を忘れちゃった。貸して?」
「いいぜー」
上目づかいに頼まれて、俺は快くうなずく。ちなみに、しきこは別にあざとく計算しているのではなく、身長差のせいで自然と上目づかいになるだけだ。
俺は自分の席に戻り、ごそごそとカバンをあさって、目的のものを探り当てた。
「ありがとっ。いつ返したらいいかな?」
「さっき英語の授業終わったし……そうだな、今日、うち来る? ハンバーグだし」
俺の両親も姉貴も、実の息子や弟である俺よりも、しきこの方を気に入っているふしがある。だから夕食に誘えば、我が家での俺の株がぐんと上がる。
姉貴なんか「貴志みたいな弟じゃなくて、しきこちゃんみたいな妹が欲しかったのに」が口癖だ。正直なところ、俺も姉貴のような姉ではなく、しきこが妹ならよかったのだが、口が裂けてもそんなことは言えない。
「わーい、嬉しい!」
もしもしきこが犬だったら、間違いなく尻尾がぶんぶん振られていただろう。
「じゃ、またねっ、貴志くん。楽しみだなあ。えへへ、大好きー」
「おうよっ」
しきこが花が咲いたみたいな満面の笑みを浮かべて、たたたたと隣の教室へ駆け戻っていく。
もちろん、大好きなのは俺ではなくハンバーグである。
途中から置いてきぼりにされていた岩内は、メープルシップとコンデンスミルクのかかったメロンソーダを一気飲みしたような顔をしていた。

「嘘だろ!」
白い野球ボールが、穏やかな太陽の光の元、放物線を描いて放たれる。
赤い縫い目の見え方で瞬時に回転を読み、俺はグローブの位置を素早く調整した。とはいえ、ほとんど動かさなくても取れる位置に放ってくれているのがわかる。
左手に心地よい衝撃が伝わり、ぱしんっといい音がした。
「はー?」
俺は気のない返事をしながら、グローブに収まったボールをつかみ、肩をおおきく振って投球した。お腹の底の方から鋭く漏れた吐息が、俺が全力の七割以上の力で投げていることを物語る。対する岩内は、せいぜい三割か四割くらいだろう。
俺と岩内は、校舎と講堂、それから渡り廊下に囲まれたこの中庭で、食後のキャッチボールに興じていた。
植えられた広葉樹が青々と茂り、影がときおりさわさわと揺れる。土は茶色というよりも白くて、強く踏みしめると、運動靴の跡がついた。
昼休みの学校内はにぎやかで、渡り廊下を歩く生徒たちは絶えない。窓から外を眺めている生徒たちも何人かいた。吸いこむ息は暖かくもないが涼しくもない。日向ぼっこには今くらいの陽気がちょうどいいのだろう。
もうしばらくすれば、包みこむような陽光が、白く刺すようなものに変わっていくのだろう。動いただけで肌に汗がにじむようになり、女子は昼休み、屋外を避けるようになるはずだ。
(こりゃ、午後からの戦いは、相当厳しいぞ……!)
俺は、無邪気で残酷な悪魔との戦いをイメージした。じりじりと追い詰められ、白旗を上げてしまった自分の顔を想像し、その幸せそうな間抜け顔に、それもいいかな、なんて思う。
なんのことかって?
もちろん、睡魔だ。
「高校生にもなってふたりで一緒に登下校して」
「うん」
岩内との会話は続き、同時にボールが二人の間を行き来する。ふと、俺は真横にある渡り廊下へ視線を送った。見覚えのある姿が、視界の端っこをよぎったような気がしたのだ。
そこには、三人の女子生徒が歩いていた。真ん中にいる両脇のふたりよりも頭半分ちっちゃな女子が足を止め、こちらを見ている。しきこだ。
カーディガンを腰に回して、腕の部分を体の正面できゅっと結んでいる。黒いプリーツのスカートの下からのぞく二本の脚は、細いけれども健康的な色をしていた。
お弁当が入っているのだろうか、教科書も入らないサイズのトートバッグを腕にひっかけている。バッグの入口からは、俺の貸した電子辞書らしきものが見えた。
「休み時間も遊びに来るのに! 家族公認なのに!」
すぐに目線を戻すと、投げられたボールが目の前にあり、そのまま吸いこまれるようにグローブへ入る。俺はただそれを落とさないようにしただけだった。
岩内のコントロールは、野球部ならそのくらい当たり前なのかもしれないが、俺から見るとバッティングマシーンかって思えるくらい抜群にいい。
だがしかし、ボールのスピードが速くなり、重さが増しているのは、気のせいだろうか。
(男の嫉妬は醜いぞ)
心のなかでつぶやきながら、岩内が投げるのよりもずっと遅くて軽いボールを投げ返す。
何度言ってもわかってもらえないけれど、しきこはそういう関係ではない。
もちろん、かわいいなとは思う。
いつの日か、しきこに彼氏ができたら、俺はショックで三ヶ月くらい寝こんでしまうかもしれない。多分、間違いない。結婚なんてしようものなら、涙で自室がちょっとした湖になる自信があった。
でも、それだけだ。自分が――という気持ちはない。
(岩内の気持ちも、わからなくはないか)
俺は、岩内がまだ投げてこないことを確認してから、ちらりと目線を脇にやる。
(俺だって、立場が別なら、こんな気持ち、理解できる気、しないかも)
しきこは俺と目が合うと、柔らかそうな唇をほころばせた。
「貴志くんっ、あのね――」
続くしきこの行動で、俺は一瞬、胸を強く叩かれたような衝撃が走るのを感じた。
目を合わせたのがまずかったのだろうか。
しきこは、あろうことか、俺に向かって駆け出したのだ。
(ばっ……)
柱で岩内が見えておらず、単にボールを拾って投げ返しただけだと錯覚したのだろうか。注意するため、俺はおおきく口をひらく。
しきこは中庭に入るとそこで足を止め、嬉しそうに片手をぶんぶんと振った。気づいてほしかっただけのようだ。
俺は、怒鳴ろうとして吸いこんだ息を、ふーっと細く吐き出した。
(ばか、驚かせるなって)
俺は心臓に嫌な汗が浮いたのを抑え、ボールを捕ろうと前に向き直る。
「なのに、ただの幼なじみとか、嘘だろ!? ――あ」
岩内が振りかぶり、ボールが放たれる。それよりもわずかコンマ二秒ほど早く、指がすっぽ抜けた。力を入れすぎたのか、滑ったのか。ボールは運動エネルギーをそのままに、一切のコントロールなしで宙に放り出された。
「!?」
俺は、全身が総毛立つのを感じる。
その瞬間、中庭の時間が凍りついたかのようだった。
ボールの軌道の先には、しきこがいる。しきこは、「へ?」という風に笑顔を硬直させて、飛来してくる物体に、身動きをとれずにいる。このままだと、なにが起こったか理解するのは、一秒後、ボールが直撃したあとだろう。
俺としきこの間には、数メートルの距離があった。どうしようもない。何かを叫んだとしても、それがしきこの脳細胞をめぐり運動神経に命令を出すその前に、ボールは彼女の顔面にめりこんでいるだろう。
(……ッ!)
身体中の血液が熱く脈打つようだった。
走りかけて止まっている足から、届くはずがないのにとっさに伸ばされた手から、稲妻のような何かがあふれ、流れだし、目と目の間へ集まっていく。
俺は、しきこに迫る白い凶器を、目だけではなく、全身全霊で睨みつけた。もしも殺気というものを放てるとしたら、今の目線にこめられた敵意がまさにそれだろう。
しきこを守ろうとする意志が、重たい身体を抜けて、止まった時間を電流のように一直線に切り裂いていった。宙に浮かんだボールの中心、その一点を、ぴんと伸ばしたピアノ線のようにまっすぐに刺し貫く。
だが、それは、ただの俺の意志であり、イメージにすぎない。一瞬のうちにめぐらされた思考は、祈りは、すべてが無駄なあがきに終わる。
そのはずだった。

ぱあん、と。

視界いっぱいに何かが弾けた。ガラスでできた花瓶を叩きつけたみたいに、破片が一瞬、空気中に丸く散る。
同時に、乾ききった高い音が、唐突に耳をたたいた。それは、銃声よりも高く、花火よりもずっと鋭い。音がしたというよりは、空気が破裂した衝撃がそのまま脳に刺さったかのようだった。
白と茶、赤の混ざったその花火は、次の瞬間には、重力に引かれて、崩れるように地面に落ちていた。
俺は息をするのを忘れていることに気づき、口を開いた。気管から、肺に空気を入れる。吐き出した空気は、どうしようもなく震えていて、言葉にも悲鳴にもならなかった。

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