時空ループ学園ファンタジー小説「未来からのダイイング・メッセージ」

Roop.04 呼び出し

ボールが木っ端みじんに飛散したというニュースは、瞬く間に高校中を駆け巡ったようだった。
騒ぎ立てる間もなく昼休みが終わり、俺たちは教室へと戻る。
事件のあらましを、周囲に詳しく説明するヒマはなかった。そして、不確実で断片的で想像の余地のある事件こそが、人間の好奇心を刺激する。
ひそひそ話が切れ目なく続き、教室全体が、いつになくそわそわした雰囲気だった。授業中、ここまで空気がにぎやかなのは、俺が覚えている限りでは先日の文化祭の前日以来だ。
きっと、SNSなんかのネットワーク上では、憶測が飛び交っているに違いない。
教壇で授業している先生もきっと、背中にのしかかってくるような噂話のざわめきを、嫌というほど感じていることだろう。
俺は、疑い半分にうかがうような目線をいやというほど感じて辟易する。
昼休みが終わるのがあと五分でも遅ければ、今頃質問攻めに疲れ果てて、保健室で寝ていたかもしれなかった。いつだって野次馬は無遠慮で、無神経だ。
俺は顔を隠すように立てた教科書からさりげなく目線を外して、斜め前に座る岩内の表情をうかがう。
岩内のよく焼けた顔は、いつになく青かった。
俺は机の下で、太ももで隠すようにしてスマホを開き、素早く指を滑らせる。
少し迷ったけれど、何も話さないのも不自然だ。
面と向かったらどうしていいかわからない表情の作り方も話し方も、指先を通してしまえば考える必要がなかった。
『大丈夫か?』
岩内は今どき純朴でまじめなやつだ。指を滑らせて女子を危険な目に遭わせたことを、気に病んでいるに違いない。
ボールが爆発するという奇妙な現象の原因はさておき、岩内のことは心配だった。
岩内が俺のことを疑っていようが、どう思っていようが、関係ない。
返事は三十秒もしないうちに返ってきた。
『もっちろん』
元気マークのスタンプがぴこんと画面に表示されたのを見て、少し安堵する。しかし、数秒後に続けて現れた文字を目にして、俺は下唇を軽く噛んだ。
『俺はな』
野球の硬球は、かたい。
もしもしきこに当たってしまっていれば、ただでは済まなかっただろう。顔を怪我していたかもしれないし、当たったはずみで倒れていたかもしれない。最悪の場合は骨折か、もしくは目に当たって失明か。
そんな責任を一番重たく受け止めているのが、他ならない岩内自身だろう。
『ほんっとうに、悪いことをしたと思っている』
俺は、いつになくかける声の選び方に迷った。
(こういうときは、気にするな、じゃなくて、今度からは気をつけろよ、だろうか?)
言葉を使うのは、難しい。特に、こうして授業中にスマホで伝えるときなんかは、普段の会話よりもずっと短いセンテンスを使いこなす必要がある。その上、言ったこちらの意図が、そのまま伝わるなんてほとんどありえないのだ。
コミュニケーションは不確かで、片想いみたいな虚しさがにいつも隣に寄り添っている。
俺は少し迷いながら、文字をフリックで入力した。
岩内は責めてもらいたくて言っている気がする。けれども、俺には責めることなんてできない。
『でも、よかったじゃん。あんまり気にすんなよ? 誰も怪我しなかったんだから』
スマホの側面にあるランプが点滅する。
岩内からきた文字を見て、体の芯が凍った気がした。
『ありがとうな。本当に』
眼球だけを動かして、何度もそのメッセージをなぞる。
(なんに対しての、ありがとうだ? 気にするなと励ましたことに対して? それとも)
スマホの液晶越しに岩内の思考を読み取れないかと、数秒間、文字とにらめっこする。そうしていると、周りの生徒たちからはお腹が痛いのを耐えているように見えるように思うが、構ってはいられない。
(誰も怪我しなかったことに対して?)
考えすぎだ。
そう思い、どういたしましてと軽く返事をした。
岩内からの返事は、なかなかこない。俺はいったん授業に意識を戻した。しかし、昼休みに起こったことが頭の大部分をしめていて、それ以外のことは締め出されてしまっている。
どうにも集中できなかったので、再びスマホの画面を明るくした。
いつもなら、ここまで長く授業中にスマホを触るなんてことはしない。
(今は仕方ないよな、あんなことがあったんだから)
緊急事態という大義名分を仕立てて、強引に自分の道徳観を納得させた。
『でも俺、危うく怪我させるとこだったんだし、責任を取らないと』
まじめバカで、重く考えすぎるふしのある友人は、案の上そんなことを言い出していた。
俺は黒板に目をやり、ついていけているかどうか確認しながら、無駄なく指先を動かす。電子機器と共に育ってきた俺たちの世代にとって、画面を見ずに文字を打つくらいのことは朝飯前だ。
『どうやって?』
日本男児としては、切腹だろうか。さすがにそれはあんまりだろう。結果として、しきこには傷ひとつなくて済んだのだ。
なんてことを、冗談混じりに考える。
『結婚?』
続く岩内の言葉に、俺は思わずスマホを持つ手に力をこめた。電流のように脳を巡った感情が、指先から奔流となってスマホへと流れこむ。
定規を折ったみたいな、バキィという不快な音がすぐ手元で鳴る。
(ん? なんだ?)
俺と同様に不審に思ったらしく、目を丸くしている先生と目が合った。
俺は愛想笑いを浮かべて、熱心に鉛筆を走らせるふりをした。そして、しばらくしてほとぼりを冷ましてから、再び下へと目線を落とす。
岩内からのメッセージと土下座の絵文字が、画面を埋め尽くしていた。
『ごめんなさい、調子のりました、冗談です、いや、ほんと、ごめんなさい、許してください、すんません。もう二度と言いません』
俺がイラッとして鉛筆でも折ったと思っているらしい。
目線を上げて、岩内の広い背中を見る。このごつい男が、スマホのなかでは気弱にも謝り倒しているのだと考えたら、口元に思わず笑みが浮かんだ。
返事をうちこもうとして、俺はぎくりとした。
スマホの液晶を水平に二分割するように、まっすぐな線が入っているのだ。それが何なのか触って確認しようとしたとき、スマホの上半分が、後ろ向きに閉じたかのように視界から消えた。薄い金属のかたまりと化したスマホの上半分が、そのまま床に角から落ちて、ぱたんと倒れる。
(は……?)
俺は床に落ちたその黒い画面を、茫然と見つめた。さきほどまでくっついていた画面の半分は、相変わらず手のなかにある。薄い切り口からのぞいているコードや基盤までも、ウエハースを折ったみたいに綺麗に分断されていた。
(俺が?)
二度目は、疑うべくもなかった。
おかしいのは、俺だ。
さっきと同じように、感電したみたいに頭の後ろの方が痛んで、意識がくらりとした。
(嘘だろ……)
床に落ちたスマホの半分を拾い上げる間ずっと、周りの席のクラスメートたちからの視線を痛いくらいに感じた。
当たり前だ。
授業中に大きな音がして「筆箱でも落ちたかな?」と気軽に確認したら、スマホが真っ二つになって半分落ちているのだ。そんな摩訶不思議な状況を、誰が想像できるだろう。
俺がもし傍観者であったなら、写メを撮ってSNSにアップしようとしたかもしれない。いや、驚きすぎてそれどころではないだろうか。
しかし当事者である今は、スマホを机のなかに隠し、肩を狭めて小さくなっている他ない。そうしていても、周りが俺を疑問と好奇心に満ちた目で見ているのをひしひしと感じる。
拾っているところを先生に見咎められることがなくて、本当に助かった。地獄に仏とはこのことだろう。
しかし、この授業が終わったら、周囲から質問攻めに会うことは疑いようもない。
俺は誰にも聞こえないように、こっそりため息をこぼした。
何が起こっているのか聞かれても、答えられない。当の本人である俺自身が、なにもわかっていないのだ。
俺は、いらだちと言い知れぬ不安を抱えて、教科書のページの文字をにらみながら、シャーペンの芯を何度も出したり戻したりした。
(なんだよ、なんなんだよ、一体!)
いつもなら早く終われと思うばかりの国語の授業を、いつまでも終わってほしくないと心底思う。そんなときに限って、時計の針はすいすいと進んでいった。
(爆ぜろ!)
半ばやけになって、もう一度あの現象が起きないかと、消しゴム相手に念じてみる。
一秒、二秒、三秒。
十秒を数えたが、なにも起こらないので、恥ずかしくなってやめた。
そうこうしているうちに、授業の終わりを告げるチャイムの音が、スピーカーから流れだす。
起立、礼を終えるのと同時に、隣の席の女子が好奇心満々な顔で話しかけてきた。
「ねえ、あのさ、スマホどうしたの?」
「落としたら割れた。いやー、ビビるわー」
早口で言って、はははと乾いた笑いを顔にはりつかせる。唇の端が面白いくらいにひきつっているのが、自分でもわかった。
(ビビるわー。俺自身の言い訳のセンスのなさに、ビビるわー)
追撃は、休む間もなく次々に来た。
「高島! 見せろよ、スマホ」
「あんな割れ方するんだねえ?」
俺はたじたじとしながらも机のなかにこっそりと手を突っこみ、無残に二つになったスマホを奥深くへと押しやる。
「画面が割れても、蜘蛛の巣みたいになるだけだと思ってた」
「っていうか、あれ、ありえなくない?」
わっ、と俺の周りの生徒たちが湧きかえる。思いのほか、気づいた生徒は多いようだった。俺がスマホを落とした音で春眠から目覚めたやつも、何人もいたに違いない。
「え、なになに、どうしたの?」
挙句の果てには、直接目撃していない生徒さえ、話の輪に加わってくる始末だ。
「高島!」
「高島君!」
たくさんのキラキラ――もしくは、ギラギラした目が、どういうことかと説明を求めてくる。クラスメートにこうも囲まれるのは、凡人である俺にとって初めての経験だった。中には、ろくに話したこともないようなやつもいる。こんな時でもなければ喜べたのにと思うと、残念でならない。
「えっと……う……」
言い訳を探して右上を見るが、白地に黒い点を並べた天井と、しょぼくれた蛍光灯があるだけだった。
頭のなかの引き出しを手当たり次第にひっくり返して、無我夢中で答えを探す。そんなことをしても、なにも見つかるはずがないのは、俺が一番よく知っていた。
「これは、その、えっとですね」
すぐに頭のなかの引き出しの中身をぶちまけ終えてしまう。自分のことをここまで情けないと思ったのは、初めてだ。知恵熱で脳みそが沸騰して、耳から煙が出るかと思ったとき、ふいに教室のスピーカーから、音が流れ始めた。
ピンポンパンポン、という気の抜けるような電子音の後に、知らない女性の声が俺の名を呼んだ。
『一年五組、高島貴志君、一年五組、高島貴志君』
助かった、と思った一瞬あとに、地雷を踏んでしまったときの「カチッ」という音が、耳もとで鳴った気がした。
『お客様が来ています。至急、校長室まで来てください。繰り返します――』
お客様が来るような覚えなど、皆無だ。しかも、校長室なんて、これまでに一度も入ったことがない。
化け物の黒い手で心臓をなで回されているような感触に、思わずぶるりと身震いする。
けれども、助かったのは確かだった。
俺は、自分を囲んだクラスメートたちをぐるりと見回して、壁が薄いところを探す。すぐそばに岩内がいて、何か言いたそうな顔をしながらも、一歩下がってどいてくれた。人ひとりが優に通れるだけの隙間があく。
「後で話せよ」
岩内が、低く喉を震わせる。
岩内だけは、他のやつらとは違った。眼に浮かぶのは油のようにテカテカした好奇心ではなく、深海に沈む泥のような不安と畏怖だった。その感情は、俺が内心に抱いているものと、きっとほとんど同じだ。
「わかった」
俺は、横を通り過ぎながら、岩内だけに聞こえるようにと音量を抑えて、短く答える。
教室を出ても、俺に向かう視線をいくらか感じた。先ほどボールが爆発した現場である中庭を脇目に、渡り廊下を歩く。
心を鎮めるように、足と腕の動きを一定のペースに保った。
線となって何本も流れた汗のあとが、胸で押しのけた空気に冷やされていく。

別館の校長室で待ち受けていた男は、俺を見るなり、すべてを見透かすような含み笑いを浮かべた。
男の薄い唇が、三日月のような弧を描いて、ゆっくりと裂けていく。

「君、ランプを使ったね?」

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