時空ループ学園ファンタジー小説「未来からのダイイング・メッセージ」

(C)ジュエルセイバーFREE




Roop.05 魔技専

校長室は、別館の二階にある。ちょうど職員室の真上で、図書室の前という位置取りだ。喧噪からは遠くて、本の虫でもなければ、ろくに立ち寄ることもない場所だった。
俺は、少し迷ってから、手の甲で二回ノックする。
(やべ、三回が正しいんだっけ?)
悩んでいたら、扉の向こうから「どうぞ」という低い声がした。
校長室の中は、冷房が効きすぎるほど効いていた。入った瞬間から、うっすらと肌を浸した汗が冷やされて、思わず背筋に寒気が走る。
「そんな入口に立ってないで、奥へどうぞ」
寒くて立ち止まっていたら、かしこまっていると勘違いされたようだった。
「は、はい」
俺は部屋の奥へ向かって足を踏み入れる。一番奥は、一面が窓になっていた。二階だから、ちょうど広葉樹が窓の半分にかぶさっていて、自然のブラインドになっている。
奥側に二人掛けのソファ。テーブルを挟んで、入口の側に一人掛けのソファが二つ置いてある。
俺に声をかけてきたのは、妙齢の女性だった。淡いベージュのスーツをピシッと着こなしていて、スキなく巻かれた茶色の髪が悠然と肩の上に乗っかっている。俺の母親よりも少し若いくらいだろう。濃い紅色のルージュが、彼女の存在感を圧倒的なものにする。
先生かと一瞬思ったが、覚えがなかった。では、彼女がお客様なのだろうか。
「君が、高島貴志君ね。どうぞ、座ってちょうだい」
女性が艶やかな笑みを浮かべて、手で座るように促す。
俺は一番手前のソファに座ろうとしたが、禿げ頭の先客がいることに気づいて、ぎょっとした。
「こ、校長先生!」
下座のソファにすっぽりおさまっている六十前の男性は、我らが校長だった。しかし彼は、俺と目があってもコーヒー豆を噛みつぶしたような苦笑いを浮かべて会釈しただけだった。全校集会の演壇上で見せる堂々とした威厳も、黒々とした髪もない。
(帽子を脱ぐのはマナーだけどさ、なにも髪まで脱がなくてもいいのに)
ヅラの話はさておき、校長はこの部屋の主のはずだ。帽子どころかヅラまで脱いで、一番下の立場の者がいるべき席に小さくなっているなんて、どう考えても奇妙な光景だった。お客様の方が上座なのはわかるが、俺より下座に座るわけがわからない。
俺は、自分がとんでもない空間に足を踏み入れてしまったことをようやく自覚して、ごくりと唾をのむ。
「やあやあ。ちゃっちゃと座っちゃってよ。僕らも、忙しいからね」
調子はずれに明るい声がして、俺は顔を上げる。
そこには、ひとりの男がいた。
百八十近いと思われる長身に、床につくすれすれの長さの白衣をまとっている。棒のようにひょろっとしたシルエットだから、岩内と身長は同じくらいでも、体積は半分もないのではないだろうか。
墨を流したような髪は、男性にしては長く、無造作に後ろで結ばれていた。
窓から差しこむ陽光をバックライトに、その姿は神々しくみえる。もしくは、邪神になり損ねたマッドサイエンティストだろうか。
俺は、勧められるままに、校長の隣のソファに座った。クッションは見た目よりもずっと柔らかくて、沈みこむようだった。
「高島貴志君、ね。思ってたより普通かなあ」
男は、俺を見るなり、すべてを見透かすような含み笑いを浮かべた。
男の薄い唇が、三日月のような弧を描いて、ゆっくりと裂けていく。
「君、ランプを使ったね?」
「は?」
ランプ、という言葉自体は知っている。電球とか、光源とか、あと道路って意味だ。
だが、男の言うその単語は、俺の知る意味のどれとも違っているように思えた。
「エーじゃないよ、ユー。lampじゃなくて、lump。たんこぶって意味。自分らは、そう呼んでる」
男は鼻歌を歌いださんばかりに愉快そうな表情で近づいてくる。一歩ごとに白衣のすそがひらひらと揺れて、薄っぺらいカーテンのようだった。
「なんでたんこぶかっていうと、つまり、痛みを伴うものだからだよ。青春は黒歴史で紡がれる。過ぎた力は痛みを伴う」
男が口を開くたびに、俺の頭のなかには疑問符が増えていく。何か言おうとしても間抜けな感嘆詞しか言えそうにないので、俺はひとまず口をつぐんで待つことにした。
男は年齢不詳だ。
十代後半の大学生と言われても、若々しい四十代だと言われても、まあ納得できるだろう。
美形かといえば、かなりの美形だろう。だが、イケメンというには爽やかさがなさすぎる。また、男前というには熱がなさすぎる。男はそんな、なんとも形容しがたい容姿をしていた。
「久織(くおり)先生。もう少し、ご配慮を。彼は何も知らないはずでしょう」
スーツの女性が、横からたしなめるようにフォローをしてくれる。彼女は男の秘書か何かなのだろうか。
久織先生と呼ばれた男は、不満げに口を尖らせて、数歩下がった。そして一番上座のソファの背もたれに、軽く腰を下ろす。背もたれを座る場所だと勘違いしているようだ。
「それは悪かった。何から話そう? 君は超能力を、もしくは魔力と呼ばれるものを持っているね?」
質問の体をとっているが、男が確信していることは、言葉の端々から伝わってくる。
「魔力? って、えっと、なんでしょう」
お前は何を言っているんだ。思わず、そんな言葉が稚拙な毛筆体で頭に浮かぶ。
「とぼけても僕には無駄。知っているよ。君がやったこと」
俺は、ぎくりとして肩をこわばらせた。男の瞳は深い闇の色で、目を合わせていると吸いこまれてどこまでも落ちそうに思える。男は愉快そうに、ゆっくりと指を二本立ててみせた。
「ひとつ。昼休みに、野球ボールを粉砕。手も触れずに、一瞬で綺麗に分解してみせた。ふたつ。いまさっき、スマホを真っ二つにしたね」
俺は、目を見開く。野球ボールの件はともかく、スマホの件はほんの数分前に起きたばかりだ。目撃者も少ない。教室に監視カメラでもつけているのだろうか。私立ならともかく、ここはただの公立高校だ。そんな資金、あるはずがない。
「……それで、疑っているんですか? 俺がやったんじゃないかと?」
俺は、俺自身が疑っていることを、ついに口に出してしまった。
男は急に声を低くして即答する。
「疑ってないよ。知っているんだ。君がやった。それは、ただの事実だ。そうだろう?」
あっけらかんとした言葉に、俺は絶句した。
(俺が……やった?)
思わず、自分のてのひらを見つめる。心のどこかで疑っていたのは、確かだ。でも、こうも簡単に肯定されても、心がついていかない。手のひらは、いつもより色をなくして、真っ白だった。
「驚くのはわかるけど、別に、たいして珍しくもないよ。魔法使い、超能力者……自分たちは、ランプ持ちって言ってるんだけどね、そういう人種は、大昔からずっと、十人にひとりくらいの割合で生まれるもんなんだからさ。君のクラスメートにも三、四人はいるんじゃないかな」
「そうなんですか?」
『自分たち』ということは、この男たちも超能力者――ランプ持ちなのだろう。
俺は、自分に起きた異変が珍しいことではないと聞き、少し平静を取り戻した。
「ま、そのことに気づかず、一生を終えることが多いけどね。気づくのはほんの一握り。でも気づいちゃったら、気づく前には戻れない」
久織は、大げさに手ぶりを加えながら、淡々と言葉を継ぐ。
「教えてください。あなたもその、ランプ持ちなんですか? 俺も?」
久織は、何がおかしいのか、目を細めてからからと笑った。
「そうだよ。僕らは……ああ、そういえば自己紹介をしていないね」
スーツの女性が、胸元から名刺入れを取り出して、一枚を両手で差し出してくれた。
「私はこういうものです」
「国立魔法技術専門学校?」
俺は、名刺に書いてある文字をそのまま読み上げる。
(魔法?)
国立も技術も専門学校も、まあわかる。魔法って単語の意味だけが、わからない。というよりも、そんな単語を学校名につける異議が、まったくもって理解不能だ。
今日の一連の出来事さえなかったら、中二病と馬鹿にして心中で笑っていたに違いない。
「理事長秘書、厚田 敦美(あつた あつみ)さん」
女性、厚田さんは、少し目を細めて微笑み、穏やかに自己紹介した。
「厚田です。よろしくお願いいたします。そしてこちらは――」
「気軽に『校長』って呼んでくれればいいですよ」
そこで言葉をいったん区切り、男は――久織校長は、おもちゃをみつけた幼稚園児みたいに無邪気な笑みを浮かべた。
「君はこれから、我が校の生徒になるんだからね」
「えっと?」
俺はわが耳を疑う。説明を求めて校長の顔を見ようとするが、思わずその少し上の輝きに目線が引っ張られた。
校長は怯えたように黙りこくって、媚びるようなひきつった笑いを、頬に薄くはりつかせている。
怯えているのだ。このひょうひょうとした奇妙な男と、キャリアウーマン風の美人に対して。
あるいは――俺に対しても。
「俺、この高校に入学したばっかりなんですけど」
「うんうん。でもね、もし。もしもだよ? あの女の子に襲いかかったのが、ボールじゃなくって人間だったらさあ」
久織校長は、両手をパンと合わせ、そしてすべての指をぱっと開きながら離した。
「どうなったかなあ?」
しきこに不審者が襲いかかる。稲妻のような意志が全身を流れ、一点に集まり、まっすぐに不審者を貫いていく。
そこから先は、ぞっとするほど赤黒くて、想像もしたくなかった。
「君はその力を制御できていないね? 今の今まで、自分が力を持っていることを半信半疑だったぐらいだ。ねえ。さっき壊しちゃったのが、スマホでよかったね?」
暑くないのに、むしろ寒いくらいなのに、汗が額を伝っていく。スマホが壊れたことは災難だと思っていた。でも、違う。もしもあのとき、感情の行き先が少しずれていたら――。
俺は、ごくりと唾をのみこんだ。今、自分が何事もなくここにいることの幸運に気づいた。そして、降りられないほど高い氷の塔の頂上に立っているということに、否応なく気づかされた。
「どうすればいいんですか。もし、この先またこんなことがあったら、俺」
目の前が真っ暗になるようだった。俺はすがるように、問いかける。
「だから、僕たちがこうして迎えに来たんだ」
久織校長はソファから立ち上がり、右手を折り、慇懃に礼をした。
「国立魔法技術専門学校。我が校は、ランプ持ちのために国が用意した学校だよ。君にはそこで、その力の制御法を学んでもらう」
「で、でも俺、この高校に入学したばかりで」
俺は、先ほど言ったことを頼りなく繰り返す。家から近いという理由で選んだ高校だ。そこまで誇りも愛着もない。だが高校にこだわりがなくても、一緒に通う友達と離れたくないという気持ちは、俺の心に根づいている。偏差値的には妥当なラインだったとはいえ、受験勉強をそれなりに頑張ったのも確かだ。
「このまま暮らしたい? いつか、うっかり人間をあのボールみたいにパーンしちゃっても、後悔しない?」
「う」
軽い口調の割に、言っていることは凶悪だった。脅迫そのものだった。
俺が返す言葉に屈していると、厚田さんが事務的な口調でその場を継いだ。
「ご存じでないと思いますが、学校教育法で、ランプ持ちは専門教育を受けることを義務づけられております。本人だけでなく、父兄にも教育を受けさせる義務があります。今夜、ご自宅へご説明に上がります。詳細はそこでお話しましょう」
俺は、震える声を喉から絞り出した。
「転校しろってことですか」
久織校長と厚田さんは、言葉ではなく沈黙で答えを返してくる。
「そ、その学校は、どこにあるんですか?」
「北海道」
俺は、思わず口をぽかりと開けてしまった。
ほっかいどう。生まれてこのかた、修学旅行でしか東京を出たことのない俺にとって、そこは未開の地に思えた。頭のなかに瞬時に浮かぶのは、地平線まで続く緑と、草を食む牛、それから白い流氷だった。
「周りは見渡す限りの湿原だね」
「んな……」
今度こそ想像すらもできない。俺は立ち尽くした。黒い色の濁流が流れこんできて、圧倒的な質量で俺の平穏な日常を俺ごと押し流していくようだった。
「ああ、そうそう」
九織は振り返ると、にっこり笑った。
「うちは、ちゃんと授業料無償化の対象だから、安心してね」
ぜんっぜんまったく心配していなかったことを、ご親切にも教えてくれたのだった。