時空ループ学園ファンタジー小説「未来からのダイイング・メッセージ」

(C)ジュエルセイバーFREE




Roop.06 そして、始まる

時間は、風のように過ぎていく。
東京で過ごす最後の日。
俺は授業中、ぼんやりと窓の外を見上げていた。ここ数日で、ずいぶんと太陽の光は熱量を上げているようだった。グラウンドで体育をしている生徒たちの笑い声が、半分だけ開いた窓越しに届いてくる。
雲一つなく真っ青な空を見上げて、俺はここ数日の出来事を思い出していた。
俺が謎の力を持っていると判明して、両親や姉貴は当然ながら驚いていた。自宅に訪問してきた国立魔術専門学校のひとや文部科学省のひとに、今の学校にいられるようささやかに抵抗してくれたらしい。
だが、どう騒いでも俺の転校は覆らなかった。ランプとかいう奇妙な力が発現した時点で、それはもう決定事項だったらしい。
俺は、引っ越しの用意で忙しい数日間を送っていた。首から上を置いてきぼりにして、胴体だけが動いているような感覚を味わいながら、いつもと変わらない日常を享受する。
数ヶ月前に始まったばかりの新生活がもう終わりを告げるなんて、まるで冗談みたいに思えた。
岩内は、俺が事情を説明すると、そうか、と短く言った。
岩内が指を滑らせていなかったら、俺は三年間ずっとこの高校で平穏に過ごせていたのかもしれない。複雑な思いを抱える俺を、岩内は刀みたいにまっすぐに見た。そしてもう一度、今度は面と向かって「ありがとう」と言ったのだった。何十にも気持ちをくるんだ感謝の言葉は、俺の心のわだかまりをじんわりと溶かした。
中途半端な時期に転校するという話は、瞬く間に周囲に広がった。だが、俺は岩内以外の同級生には「家庭の事情」としか伝えていない。ボール爆破事件の真相は、ひそひそ話のネタにはなっても、決して表沙汰にはならないだろう。
ランプ持ちは、爆弾のようなものらしい。いつ爆発するかわからない、取扱い危険物。だから周りに何もない田舎町に、研究所と共に制御法を学ぶための学校が作られたそうだ。
日本は広しといえども、ランプ持ちとわずかな周囲の人間しか、この奇妙な能力のことは知らない。知ってはいけない。知る必要もない。
(隔離されるのか、俺は)
俺は、視線を教室のなかへと戻す。
学校と名をつけたところで、本質は難病患者の隔離施設なのではないだろうか。
(なんか、動物みたいだな)
サバンナで平和に草を食んでいたら、突然巨大なジープが襲来する。うっかりつかまって、縄を首に回された上に麻酔銃を打たれ、目が覚めたら自由のない檻のなか。
どうしようもなくて、けれども吐き出す先もなくて、嫌になるくらい閉塞した気分だった。
音程の外れたようなチャイムが鳴る。
がたがたと机が音を立てて、生徒たちは席に残ったり、まばらに散っていったりする。俺も購買へ行くために席を立った。
「貴志、今日は買い弁?」
「おう」
岩内に声をかけられて、軽くうなずく。岩内を含めて、学ラン姿の四人が教室の後ろの方で机を合体させていた。俺も戻る、と言い残して、俺は教室を出た。
友人たちは、気をつかうように手を振って見送ってくれる。腫れものに触るような扱いが、心に刺さって、ちょっとだけ痛かった。
「あ」
廊下を歩いていると、数メートル先に可憐な女子生徒の姿を見つけた。
毛先のくるっとした髪が、水彩で描かれたような花柄のシュシュで結ばれている。
白磁の肌も、みずみずしい蕾みたいな唇も、ほんのりピンク色の頬も、窓から注ぐ陽光を受けて、その光よりもなお鮮明に輝くようだった。
友達らしき女子生徒に向かって笑顔を浮かべるその女子生徒を見て、俺の心の奥が、ちくりと痛んだ。
しきこの長いまつげが揺れる。その下の星空を閉じこめたみたいな瞳が、俺の姿をとらえた。
「あ……」
視線が交わる。先に逸らしたのは、俺だった。
俺は腕を振り、競歩のように歩幅を大きくして廊下を行く。思わず引返そうとしてしまった足を、叱責するように動かした。目線は高く、まっすぐ前を見る。
乾いた唇をかみしめる。何も食べていない口のなかは、なぜか苦い味がした。
俺は、まだしきこに何も言っていない。
驚いたような視線を感じる。でも、視線を浴びるのは、ここ数日ですっかり慣れてしまった。
無事にしきこの横を通り過ぎる。息をわずかに口から吐いて、歩調を緩めた。
「まって!」
凛とした声が耳に届いたのは、そのときだった。同時に、右手の裾がつかまれる。
俺は、手を振るのと足を動かすのをやめた。
「なに?」
淡々と告げたつもりの言葉は、少し震えていたかもしれない。
久しぶりに真正面から向かい合うしきこは、数日前よりも小さくて儚くみえた。
「話があるの、お願い。放課後、ちょっと来て、ください……」
しきこは、消え入りそうな声でそう言ったのだった。

「北海道へ行っても元気でね」
「この数ヶ月、楽しかったよ」
月並みな言葉が口々に寄せられる。
授業終了後、クラスメートのみんなが、ささやかなお別れの会を開いてくれた。
赤、白、黄色と色鮮やかな花束と一緒に、寄せ書きの色紙を受け取り、俺は寂しさ半分に笑顔をつくる。
半年も共に過ごしていないクラスだったが、いざ転校となると急に離れがたく感じられた。
感謝を告げる短いスピーチをして、頭を大きく下げる。
「短い間だったけど、ありがとうございました!」
ちょっとうるっときてしまったが、鼻をすすり、何度も瞬きをしてごまかした。
「会えなくなるわけじゃねーし、気軽に連絡してくれよ」
「東京に戻ることになったら教えろよ」
「お、おう!」
スマホが両断されたままになっていることを思い出して、俺はぎくりとしながらうなずく。早いところスマホを修理する必要があるが、ここ数日はどたばたしていて暇がなかった。転校することになってショックを受けている両親の傷口に塩を塗りこむようで、なかなか言い出すきっかけをつかめなかったのもある。
北海道には、スマホの修理をできる店舗はあるのだろうか、とにわかに不安になった。
(馬鹿にしすぎかもしれないな)
どうあっても、現代の日本だ。住んでいるひとだっている。不便だろうがなんだろうが、生きていけないことは、ないはずだ。
クラスのみんなの拍手に見送られて、教室を出る。俺はその足で図書室へと向かった。
放課後の図書室は生徒がひとりしかおらず、がらんどうだった。窓が大きく開かれていて、レモン色をしたカーテンが夕方の風に気持ちよさげに揺らされる。
風の形に膨らんだカーテンの下に、彼女はいた。机のうえの本に視線を落として、憂鬱そうに頬杖をついている。
まるで絵画みたいに綺麗なワンシーンだったから、俺は声をかけるのを少しためらった。
「しきこ」
髪にふわりと風を含ませながら、彼女は振り返る。そして、円いひとみに俺の姿を映して、水仙の花がほころぶように笑った。
いつもどおりの微笑みに、俺はほっと安堵した。怒っているのではないかと思っていたのだ。怒らせるようなことをしたのは自分であるにも関わらず、卑怯にも怯えていた。
「話って、なんだ?」
「話があるのは、そっちじゃないのかな」
しきこは本を閉じて、立ち上がる。まっすぐな瞳に見据えられて、足が逃げたくなるのを必死でこらえた。
「あ、うん。転校することになったよ、俺」
「知ってる。岩内君から聞いた」
二人の間に、冷え冷えとした沈黙が横たわる。
しきこには、真っ先に話すべきだと思った。だが、話そうとしても身体が自然と逃げてしまった。
岩内のときは、こんなに抵抗はなかった。身体は今よりずっと軽かった。唇だって、今よりもずっと簡単に動かすことができた。
だが、次の瞬間、どうしてしきこに話す気になれなかったのか、理解できた気がした。
しきこの瞳が潤んでいた。次々にあふれ出した真珠のように大粒な涙が、夕日を受けて橙色に光る。唇から生み出された空気の振動は、幼い子どもが死んだ親にすがりつくみたいに弱々しかった。
「いかないで」
俺は、胸をつかれたように、立ちすくむ。
「ごめん。ごめんな」
口から出るのは、情けない謝罪だけだった。
「もっと早く言おうと思ったんだ。でも、しきこに言いたくなかった」
じんわりと、目頭が熱くなる。
すべて、無抵抗で受け入れようと思った。でも、行き場のない思いは、俺のなかに雪のように積もっていたようだった。
「俺、そしたら、行きたくなくなりそうで。覚悟が鈍りそうで」
「だったら、行かなきゃいいじゃん!」
しきこの叫びは、駄々っ子のようだった。
「行きたくないなら、ここにいればいいじゃない! 行かなくていいじゃん。ねえ、そうでしょ」
俺の感情を、しきこが代弁してくれている。ならば俺は、俺の理性を口にするべきだ。
「ごめん。詳しくは言えないけど、行かなくちゃならないんだ」
俺はこぶしを握りしめ、決意を固めるようにゆっくりと首を横に振った。
(後悔しない?)
久織の声が、耳もとで聞こえた気がした。万が一、この力が暴走して誰かに――しきこに危害が加わるようなことがあれば、俺は後悔してもしきれない。
まるでこの力は、病気みたいだ。俺は悪くないのに。運が悪かっただけなのに。どうして、他のやつじゃなくて、俺が。湿っぽくてどす黒い泥のような感情が、胸のなかを去来する。だが、病気だろうがなんだろうが、戦うのは俺自身だ。
俺は、顎を引いて姿勢を正した。
「それに俺は、今はちょっと行きたいって思ってる」
生まれて初めて、しきこに対して嘘をつく。罪悪感も、女々しい感情も、踏み越えてやろうと思った。
「俺さ、知ってると思うけど、ずっと平凡な人生を送ってきたんだ。成績だって普通だし、運動神経も普通だし」
しきこは袖で目元を拭き、鼻をすすりながらもじっと俺の話を聞いている。
「そんな俺が、もしかしたら、特別なのかもしれないんだ。ラ……珍しい才能を、持っているかもしれないんだって」
「だからって、あんなところに」
「行きたいんだ。俺の意志だよ。俺、普通なだけの自分、嫌いじゃないけど好きじゃなかった。でも変われるかもしれないんだ」
俺は、にかっと笑った。
「今さ。俺、すっげー、わくわくしてる」
雪のように積もり積もった思いが、オレンジの陽光に溶かされていく。
気持ちから言葉が生まれるのだと思っていた。言葉から生まれる気持ちがあることを、いま知った。
「……わかった」
しきこは目をごしごしとこすり、スカートのポケットに手をつっこむ。そして腕を俺に向かって無造作に真っすぐ突きだした。その手の平にあった、丸い物体が俺にずいと押しつけられる。
「なんだ、これ?」
見た目の割には重いその物体は、金色の時計だった。
不思議の国のアリスのうさぎが持っているような丸い鎖時計で、手の平にすっぽりと収まる。文字盤の一部がくりぬかれて、複雑にかみ合う歯車が見えていた。
「時間だよ」
しきこは白ウサギのように目元を赤くしながらも、伝い落ちる涙をこらえて微笑む。
「お父さんにもらったものなの。あげる。絶対に、なくさないでね」
俺は手のなかの高価そうな鎖時計を見て、思わずたじろいだ。
「いいのか? そんな大事なものを」
しきこはため息をこぼして、怒ったみたいに頬を膨らませる。
「大事だから! あげるのっ! オーケー?」
「お、おっけー」
俺はたじたじしながら、カバンの奥に金時計をしまいこんだ。
「ありがとうな、しきこ」
「ん。……またいつか未来で、私に会いにきてね」
会えなくなるわけじゃない。だから、俺としきこは微笑み合った。その空間だけ、優しい春の日差しに包まれているような温かさを感じる。
俺としきこは図書館を出た。すっかり日は落ちて、あたりは薄暗い。遠くの方の空には、うっすらとした夕焼け色が着物の帯のように残っていた。
「あ、やべ」
「どうしたの?」
「スマホ忘れた」
俺は、スマホを机の奥深くにしまいこんでいたことを思い出す。ぎりぎりセーフだった。あと少し思い出すのが遅かったら、取りに行くことができなかったかもしれない。俺は慌てて踵を返した。
「ごめん、ちょっと待ってて。送っていくから」
「急いでてこけないようにねー」
しきこと校門のところで別れて、校舎へとダッシュで駆け戻る。息を切らしてたどり着いた教室に、ひとの影はなかった。俺は今日でお別れする自分の机にたどり着く。スマホは無事、引き出しの奥にあった。
ふと、なにかの予感を感じて顔をあげる。夕闇に覆われようとしている教室には、誰もいなかった。
(気のせいか?)
肩をなでおろしたとき、背後から淡々とした声がした。さっきまでなかった誰かの気配が、息遣いが、すぐ後ろにある。
「いいか、聞け」
そして現れた少年は、喉をゆっくりと震わせた。
「これから、お前は、死ぬ」

俺の前に、俺が現れた。