ホラー学園ファンタジー小説「幽霊のいる学校」

(C)ぱくたそ

残像すらも目に残らない神速の一撃が、緊張感に満ちた空気を切り裂いた。
黒い学生服に身をつつんだ少年は、流れるようにしなやかな動作で打撃を放っていく。迫っていた青い人影へと、振りかえりざまに回し蹴りを食らわせた。容赦ない一撃が、群がっていた生徒たちをなぎはらう。額にうっすらと浮かぶ汗を、差しこんだ月光が蒼く染めていた。少年のはく息が、恐怖にではなく歓喜に震える。警戒をゆるめずに、青い人影――、生徒の向こうをちらりと一瞥する。そこで戦っているのは一人の少女だった。結われた髪が優雅に揺れるたびに、周りに群がった人影が減っていく。羽根が生えているかのように軽く、それでいて無駄のない動きだった。
少年はすぐに神経を張り巡らせ、目の前の生徒たちと対峙する。数え切れないくらい大勢の生徒たちが、狭い階段ホールにうごめいていた。
少年は制服の腕の部分で、額に浮いた汗を無造作にぬぐう。鋭く息を吐くと、軽やかに地面を蹴った。
もしここに観客がいたならば、二人の鮮やかな舞踏に感嘆の息も出なかっただろう。しかし、この闇の中にいるのは、二人の他には無数の生徒たちだけだ。
闇に染められた校舎の中で、静かな戦闘が繰り広げられている。おぼろな月光の束だけが、世界を淡く照らしていた。
近づいてくる終末の足音が、だんだんと大きくなる。
窓の外の月は、あの大鏡のように澄み切って。この夜を静かに映し出していた――。

夜の学校は静まり返っている。
世界で生きているのは自分だけなのではないかというほどの静けさだ。もしくは、耳がおかしくなってしまったのではと思うほどの、澄みきった静寂。
荻野 翔人は、誰もいない廊下を一人で歩いていた。保護色の学ランが暗闇に溶けこむ。
月は赤く不気味に光っていた。窓から差し込む光のおかげで、懐中電灯なしでも歩ける。
古い学校だから、セキュリュティーは甘かった。開いている窓が見つかって、いとも簡単に侵入できた。しかし、問題はその後だ。
翔人は、頭を悩ませていた。
長い間静寂の中に身を浸していると、音が聞こえてくる。聞こえるはずのない物音だ。
翔人は、無意識のうちにその音の方向へと進んでいた。
ふと、かすかに違和感を感じる。廊下の闇から聞こえてくるのは、確かに人の話し声だ。
――こんな時間に。
不思議に思った。
翔人は腕時計を確認する。制服の裾からのぞいた時計の針は、十一時を指していた。
小声で誰かが話している。
翔人は足音を殺して進んだ。
一つの教室の前に来た。話し声はそこから聞こえている。
翔人は、何かの気配を感じた。振り返る。廊下の暗がりの中から、翔人へと視線が向けられていた。相手の姿は見えない。不思議と恐怖は感じられなかった。
「誰か、聞こえる……?」
少女の声が、静寂の中に響いた。翔人はその不思議な声に聞き入った。学校の暗闇は、目を閉じているときに見える色よりも黒い。
「止めてあげて……」
夢の中にいるような感覚だった。頭の中が淡い白色に染まっている。
「今日は、だめ……」
鈴を連想させるようなささやきだった。頭の中に直接しみこんでくるような声だ。
「赤い月が、でてる」
まどろみの世界とのつながりが、突然断ち切られた。教室の扉が開かれたのだ。気づくと、窓の外に再び赤い月が出ていた。廊下の向こうは、何事もなかったかのように静まり返っている。
翔人は、はっとして振り返った。扉の向こう側から顔を出したのは、同じクラスの女子生徒だ。名前は、確か里村だった。
「しょ、翔人君?」
里村は、驚いた表情を作って数歩後ずさった。
教室の中には、男女四人の生徒がいる。円になって座り込んでいた。
「荻野! どうしてこんなところにいるんだよ」
リーダー格の大柄な男子生徒が、翔人へと高圧的にたずねてくる。名はたしか、龍太だ。
「……」
翔人は黙りこんだ。ここにいる理由を聞かれては困る。漆黒の瞳を、黙って教室内へと向けた。
「び、びっくりしたー。ちょっと、先生かと思っちゃったじゃない!」
「脅かすなよな!」
彼らは安堵した様子だった。その後、翔人へと警戒するような視線が向けられる。
「どうしてこんなところに?」
不審げに詰問されて、翔人は仕方なく口を開いた。
「……別に」
答えになっていなかった。忘れ物とでも答えておけばよかったと、翔人は少し後悔する。
翔人は人との会話が苦手だった。小さいころ、よく大人たちから言われた。
――お姉ちゃんと違って、翔人君には感情がないのね。
呪文のように繰り返された言葉が、いまだに翔人を縛っている。
同級生達は円をつくって話しこんだ。そして、翔人へと悪戯っぽく笑んだ。
「もしかしてお前も、仲間にいれてほしいのか。俺らがここにいる理由、わかるよな? 怪談だ」
めがねをした男子生徒、大山がからかうように言う。
「……」
「七不思議で、七つの話を知ると死ぬっていうだろ? だから試してんの」
翔人は、ため息をつきたいのをこらえた。
「あ、もしかして。私達が昼休みに教室で話していたの、聞いてた?」
「そっか。だから来たんだ」
「一緒に行ってもいいか聞いてくれたらよかったのに。断ったりしないわよ」
肩くらいの髪の小柄な女子生徒が、えくぼをつくった。彼女の名前は、確か香奈だ。
なんだか、彼らは嬉しげだった。
懐中電灯を手に、リーダー格の大山が手招きをする。円に一人分のスペースが空いた。視力検査で使われる、Cの形だ。
「来いよ。今、四つまで話したところなんだよ。あと三つだ。一つぐらい知ってるよな?」
見下した視線が翔人に向けられた。彼らは、クラスの中心人物だった。それは同時に、いじめの首謀者を意味する。
「どうしたの、翔人君」
「こわいの?」
女子生徒達が、挑発するような視線を向けてくる。翔人は無表情のままため息を落とす。
「どうした、翔人クン? こわくなっちゃった?」
翔人は、一歩進んだ。同級生達の円には入らない。その場で翔人は口を開いた。
「……七不思議は、生徒それぞれがいくつかは知っている。でもただ、それは間違っているものが多い。七つ知っても生きている人間がいるのは、その人が知っているのは間違った七不思議だからだ」
無機質な声が、暗闇に溶け込んでいく。
「本当に正しい七不思議を七つ知れば、取り返しがつかないことになる。現に、消えた生徒がいる。だから、止めたほうがいい。こんな風に悪ふざけで学校を騒がせることは」
楽しげだった彼らの顔が引きつった。
「止めろ?」
「何言うんだよ」
同級生達が声を荒げる。
翔人は、心の底に浮かんだ言葉を拾った。
「今日の月は赤い。……集まってきている。戻って、来られなくなる」
翔人は口を押さえる。
――今。自分は何と?
言うつもりのない言葉が、勝手に口から出てきた。まるで、誰かが翔人の口を借りて話しているかのように。
窓の外で木々がつくる濃い闇が、ざわりと不気味に揺れた。
「何だよ、わけわかんねえ」
彼らの一人が、いらついた声をだした。
「仕方ないな、どうする」
「ねえ、どうせだしさ。
さっきまでの七不思議の場所、直接行ってみない?」
香奈が、明るく提案した。
「お、それ、いいんじゃね?」
「きゃあ、こわーい」
「大丈夫だって。何か出たら、写メ撮ってクラスの奴らに見せてやろうぜ」
彼らは翔人を無視して盛り上がる。
「お前も、来いよ。臆病者」
大柄な龍太が、馬鹿にしたような視線を投げつけてきた。
懐中電灯を持って教室を出る。
赤い月だけが彼らを見ていた。
静寂に包まれた廊下を歩く。
翔人は、明かりを持っていなかった。だから彼らの後ろを、間をあけてついていくことに決める。
「懐中電灯もなしに来たの? この暗闇の中を?」
みつあみの香奈が、目を丸くした。
「……慣れているから」
「まじかよ」
「お前ってさ。幽霊とか、見えるんだってな? 学校でも誰とも話さねえし。幽霊ぐらいしか友達いないんだって?」
「きゃははー。それ、言いすぎ!」
「かわいそう」
「……別に」
彼らは、翔人が言葉を発するごとに莫迦にしたように反応する。
――疲れた。
今度話しかけられたら無言で返そう。翔人はそう決めた。
――仕方ない。
歩くだけならつきあってあげよう。彼らが帰ってくれなければ、翔人の計画は実行できないのだ。
「てかさ。何か出てこねえかな。出てきたら楽しいのに」
「だよなー」
クラスメイト達は口々に談笑している。翔人にはそれが強がりに見えて仕方なかった。
口と違い、身体は正直だ。足の運び方や懐中電灯の照らし方。そういった細かい動作でわかる。彼らは、本心では怖いのだ。それを虚勢を張って必死で隠していた。
夜の学校。それだけで、何故こんなにも怖いのだろうか。昼間と夜の人口密度が違いすぎるのだ。
「知ってるか? 小学生のころ、俺の兄ちゃんに聞いたんだけどよ。数年前にこの学校の生徒が一人、行方不明になったんだって」
首筋に冷たい風が当たった。
翔人は目を閉じる。胸に懐かしい痛みがはしった。
廊下に響くのは自分達の足音だけだ。気を落ち着かせようと、幾重にも重なる足音を数える。
「まじかよ」
一人……二人。
足音が、廊下の暗がりに反響する。
「おう。調べてみたら、昔の新聞にもあったんだぜ。夜に家を出たまま行方不明なんだ、今でもだぜ。どうやらその生徒が最後に行った場所が、学校なんだってよ」
三、四人。視線を落とした。懐中電灯の不安定な明かりの中に、上履きが見える。一メートルほどの距離なのに、同級生達の顔は見えない。
「へえ。なんでまた」
五人。
雑談が、誰もいない廊下に響く。沈黙が怖くて、同級生達は話している。
「さあね。でもその子はそれっきり、帰ってこなかった。
そして、それからだ。妙な噂が流れるようになったのは」
……六人。
翔人は目を見開く。懐中電灯の光が目に痛かった。
六人、いた。
廊下を歩く靴音を、翔人の耳がとらえた。誰もいない背後から、足音が聞こえている。
「噂ではさ。七不思議の七つ目を知ってしまったんじゃないかって」
同級生達は、一人の話に聞き入っている。
翔人は廊下を歩く上履きの数を数えた。
――四人。
あの教室にいたのも、確かに四人だった。入り口で数えたから間違いはない。
自分を入れて、五人。
なのに足音は今、六人分ある。
つまり、こういうことだ。
――背後に誰かがいる。
ぞっとした。
頭が真っ白になりかける。背筋に悪寒が走った。呼吸がはやくなる。
「それでさ。その生徒は今でも、学校をさまよっているんじゃないか、って」
この中学校ではそれなりに知られたうわさだった。
赤い月の夜には、何かが起こる。
翔人も、数ヶ月ほど前にそのうわさを耳にした。だからこそ、こうして学校に来たのだ。
翔人は、ゆっくりと背後に視線をやった。
覚悟を決める。翔人は立ち止まった。後ろを振り返る。
そこには一人の少女が立っていた。
暗闇の中なのに、その女生徒の姿だけははっきりと見える。
肩の上で流れる、薄茶色の髪。紺のブレザー。その下にはベージュのカーディガン。赤いリボンが胸元で華やいでいる。それはまぎれもなく、ここの中学校の制服だ。
翔人の視線はその少女に釘付けになる。
和やかな雰囲気をした、小柄な少女だった。桜色の頬に、肩まで伸びた茶色の髪がかかっている。肌は透き通っているようだった。
廊下を歩く足が目に入る。学校指定の上履きだった。学年カラーはオレンジ。翔人たちより一学年上だ。
その少女は、翔人を見て無邪気に微笑んだ。夜の学校にタンポポが咲いたような気がした。媚を含まない、純粋な好意に満ちた笑みだった。
十人いれば十人が振り返る。絶世の美女ではないが、不思議な魅力がある。笑顔をもっと見ていたい。そう思わせるような笑みだった。そして桜の精のように、その少女の姿は幻想的だった。綺麗だった。
「おい、どうした」
前方から、同級生達が声をかけてきた。
翔人を見ている。
その後ろにいる少女の姿には、誰一人として反応しなかった。
翔人はわれに返った。釘づけになる視線をずらし、何とか少女から顔を背ける。
「……何もないよ」
少女に聞こえるよう、大きい声を出してつくろった。
同級生達は舌打ちをする。何事もなかったことにして歩き始めた。
もしも今転んだら、確実においていかれる。
翔人は、後ろからついてくる足音を聞きながら、淡々と歩を進めた。
少女は一定の距離を置いてついてきている。少女は、翔人にしか見えていないらしかった。おそらく、足音も同じだろう。これまでの経験からそのことがわかった。
関わりあいになる義理はないから、声はかけないことに決める。
翔人には生まれつき、変なものを見聞きできる才能があった。
電柱棒の影にいる女の人。三階の窓の外から顔をのぞかせる、小学生らしき男の子。
それらのものが自分にしか見えないのだと理解するのには、かなりの時間を要した。
――ねえ、あそこに誰かいるよ。
小さいころから、何度そう言って気味悪がられたことだろう。
同年代の子供からいじめられたことも多い。
化け物。
そう言われてきた。納得できなかった。
いじめられたときにかばってくれたのは、七歳上の姉だった。
「足が速い子とか、本を読むのが好きな子っているよね? 翔人のも、それと同じなんだよ。気にしないで。ううん、むしろ自慢しちゃいなさい。翔人はとっても素敵な才能に恵まれたんだからね。きっとどこかに、翔人の力を必要としてくれる人がいるから」
そう言ってくれた。
見えていると感ずかれないように、さりげなく視線を送る。
少女は心なしか、何か言いたげな瞳をしていた。
生まれて初めて、翔人は自分の特殊な才能に感謝した。
嬉しかったのだ。
ずっと会いたかった「彼女」に会えたのだから。