学園ファンタジー小説「ちっぽけな神さまのうた」

この世界にある全てのものには神が宿ってるのよ。

幼い頃にお母さんからそう教えてもらった。けれど、私は教えてもらうまでもなく、知っている。
この世界には数え切れないほど多くの神がひしめきあっている。そして、遊んだり雑談したり、たまには口喧嘩したりしながら、確かに存在しているのだ。
「おーい、待ってー!」
私はばたばたと騒々しく走りながら、前を行く彼女に声をかけた。廊下にいた生徒たちが何事かとこちらを見てくるが、肝心の彼女だけは立ち止まってくれない。
ようやく彼女に追い付いた私は、息も絶え絶えに彼女の肩へ触った。とたんに彼女はびくっと身体を震わせる。
「な、何ですか」
怪訝そうな顔で振り返った彼女の瞳は、怯えたような色に満ちていた。
「ごめんなさい。驚かせてしまった?」
「いえ、別に……」
話を切り出そうとして、私は彼女の名前を知らないことに気づく。
「えっと、その、ごめん。名前、何ていうの?」
彼女の瞳から怯えた色が消えた。代わりにいかにも迷惑そうな顔でつっけんどんに言う。
「田中です。田中 定理」
「田中さんだね。えっと、私は」
「知ってる。物川 詩さんでしょう」
彼女――田中 定理はいかにも迷惑そうな顔をした。
「……存在感が薄いって言いたいんですか? 名前を覚えるような価値もないと」
そう言う田中さんの全身から、あからさまな警戒心と敵意がにじみ出ている。誤解されてしまったことに気づき、私は慌てて弁解した。
「えっと、そういうんじゃないよ。ごめんなさい、私、本当に人の名前を覚えるのが苦手で」
田中さんは「はあ」とため息とも呟きともつかぬ声でつぶやく。
「あの……それで、その」
いいあぐねていると、田中さんは疲れきった様子で息を細く吐いた。
私は覚悟を決めて、一番の核心に切り込んでいく。
「あの! 一緒に行かないっ?」
「は?」
「ほら、次、体育だし、良かったら一緒に移動しない?」
田中さんは、庭先で新種の生物でも見つけたような顔になった。意味がわからないんだけど、と小さな声で返される。
「えっと、えっと、田中さんいつも一人でしょ? だから、もしも良かったら、私も一緒にいていいかなって思って」
勢い込んで言おうとすると、緊張で舌がもつれた。
「私は別に構わないけど……物川さんはいいの?」
しばらくの沈黙の後、田中さんは念を押すように尋ねてくる。
――いいの?
一緒にいたらいじめられるかもしれないけれど、大丈夫かということだろう。そう理解して、私は即座にうなずいた。
「放っておけないの。一人でいるのって、寂しいでしょう」
のんびりと言って、何も考えてないように屈託なく微笑む。

『滑稽な、人間、だね』
『頭の中、お花畑。瓶の、影響?』

すぐそばの壁に立てかけられた箒とモップが茶化すような声を上げたけれど、聞こえないふりをしておいた。

私は生まれつき、彼ら――八百万の神様の声を聞くことができる。
姿も見ることはできるにはできるのだが、姿を持っているのはよろずの神の中では稀だ。どうやら長い年月を経たよろずの神だけが、姿を得ることができるらしい。

もちろん瓶にも姿はない。
私に見えるのは、コーヒーの空き瓶、ただそれだけ。
でも確かに、彼らの声は私の耳に届いているのだ。

『失敬な話だ、まったく』
窓際に置かれたコーヒーの空瓶は、不愉快そうにぶつぶつと呟く。
『瓶の影響だぁ? 逆だ、逆!』
「逆ってことはつまり、私の影響で瓶君まで頭の中がお花畑になっているってことかな?」
『違う違う違う違う違う! 頭の中、お花畑なのはお前であって……お前だけだ!』
違うを五回も連呼するほど、頭の中がお花畑だと言われるのは不快みたいだった。瓶は私の周りの声に神経を集中させていて、自分への悪口を偶然にも聞いてしまったらしい。八百万の神というのは、私たちよりもずっといろんなことができるそうだ。
(でも私は……頭の中がお花畑って、素敵だと思うけどな……できれば黄色いタンポポとかだと、綺麗かも)
『おい、まさか、頭の中がお花畑って素敵だな、とか思ってないだろうな』
「えー、心の中、読めるの?」
『顔に出てんだよ、ばっきゃろう』
瓶は親切にも、頭の中がお花畑というのは、けなし言葉だと教えてくれる。親切な人――いや、瓶だ。
私は心から感謝する。ありがとうと感謝の意を告げるが、瓶にまた「ばーか」と言われてしまった。
もともと瓶は、私の父さんが飲むコーヒーの瓶だった。それを私が洗って学校に持ってきた。
最初は道端に生えていた花を入れていたのだが、枯れてしまってからは空の瓶となって窓際に忘れられたように置かれている。
この瓶は、普通よりもかなり舌が良く回った。だから私は授業中さえも暇することなく、学校生活を楽しめている。
私は今日も一番に学校に来て、田中さんとのことを瓶に話した。
『へえ。もう仲良くなったのか』
瓶は見直したように、ひゅうと口笛を吹く。もちろん口はないから、そう聞こえたような気がしただけだけど。
「あれ? そういえば、聞えていたんじゃなかったの?」
『遠くの人間の声は、あんまり。耳を澄ませばよろずの神の声は聞えるんだが』
どの程度のものが聞こえ、見えるのかは個人差があるらしい。個人差というより、個神差か。
「ふーん。できることとって、他に何があるの?」
『在ることと、他は……見ることと聞くことと考えることかね。基本的に、この世に干渉することはできないし、多分許されてもいないよ。よほど長くこの世に在るものならば、話は別だが』
そんなだからお前の能力は例外中の例外だ、と呆れてるんだか感心しているんだか分からない口調で言われた。
「ああ、でも、一つあったな」
――例外。
瓶は思い出したようにつぶやく。
「壊れることはできる」
「壊れる?」
そのまま聞き返すと、瓶はなんでもないことのように言った。
「死ぬってことだ」

「うわ、最悪ー。朝からなんかこの教室、臭いんですけど!」
一人の女子生徒が甲高い声を上げた。くすくす、くすくすと嫌な笑いが教室のあちこちにわき上がる。
「臭い臭い」
「まじ、死んでほしいよね」
「あはは、それは言い過ぎー」
デジャブを感じる光景に、私は大きくため息をついた。
「私、朝見ちゃった。詩さんって、独り言ぶつぶつ呟いているの。気持ち悪いー」
そんな声が耳に飛び込んでくる。見られてしまっていたらしい。ミスった。
(まあ、確かにそうかもねー)
彼らの声が聞こえていないひとたちにとって、私の行動は理解しがたいものだろう。というか、不審者にしか見えないだろう。
それにしたって、臭いとキモいと気持ち悪い以外に、人を罵倒する言葉を知らないのだろうか?
『案の定、始まったな。猿どもめ』
瓶はため息まじりに言う。もちろんため息を本当についているはずもない。そう聞えるってだけだ。
田中さんの姿を教室の端に発見する。いじめのターゲットから外れた彼女は、誰かと視線が合うことを恐れるようにうつむいていた。
さすがにちょっとため息が出る。
「はー」
『大丈夫かー? らしくないぞ』
「ん。大丈夫」
負けないよ、と私は笑った。