現代恋愛青春小説「描かれた夏の風」

「友絵……最近少し頑張りすぎじゃない? 体壊さないようにね」
心配そうに尋ねてくる母に、私は笑顔で応じる。
「大丈夫、大丈夫。行ってきまーす!」
私はゼロから新たな作品を書き始めていた。
誰よりも早く登校して、授業が始まる前に絵の制作を進める。放課後は校舎が閉まるギリギリまで残っていた。
誰が何と言おうと、文化祭の代表選考会に間に合わせる。
その一心だ。
無我夢中、とはこういうことを言うのだと思う。
みんなから無理だと言われた。
たった二週間で間に合うはずがない。
雑に仕上げた作品を出しても恥をかくだけだ。
文化祭の代表は諦めろ。
(無理だなんて決めつけないで。私は、やるんだから)
私は目の前のキャンバスをじっと見据える。
私の一週間が詰まった絵だ。
他のすべてを捨てて、持てる力のすべてを注ぎ込んだ。
焦る心を抑えて、ゆっくりと筆を動かす。
あと一週間で、間に合うかどうかは分からない。
けれど間に合わせなくてはならないのだ。
もし、もしも。この絵を書き上げることができたなら。
もしも、私が文化祭の代表に選ばれたなら。
そのとき、私は智先輩に言いたいことを言おうと思う。
「失礼します。先生、頼んでおいた絵の具の件なんですけど……」
ある日、私は用があって先生の部屋を訪ねた。
ガチャリと扉を開ければ、女生徒と先生が深刻そうに話している。
ショートカットの女生徒、その後ろ姿には見覚えがあった。
「アスカ先輩、こんにちは」
私は深々と頭を下げる。アスカ先輩は、ふいと目を逸らした。
(え……?)
後ろの窓に、雨粒が何本もの線を描く。
アスカ先輩の瞳は、今の雨雲みたいに曇っていた。
「ああ、西口! 隣の部屋の机の上にあるから、勝手に取って行ってくれ!」
先生は焦ったような口調で大きな声を出して言う。
「は、はい」
無視……された。
心の底に暗雲が影を落とす。
私はどうしていいか分からないまま用事を済ませた。
部屋を出るときアスカ先輩に視線を送ったけれど、やはり応えはない。
(何を話していたんだろう?)
他人に聞かれたくない話だったのだろうか。
だとしたら、ひどく間が悪い。
それにしても、アスカ先輩に無視されるなんて初めてだった。
(私……何か気に障ることしちゃったかな)
とはいえ、アスカ先輩はちょっと気に障ったくらいで後輩を無視するような人じゃない。
そんなことをぼんやりと考えていたら、向こう側から声をかけられた。
「友絵! どうしたの、ボーっとしてさ。今から帰るの?」
「真由!」
私は顔をあげて友人に笑顔を向ける。
「ううん、ちょっと難波先生に用があったの。まだこれから絵を描く予定だけど」
何気なく真由の後ろに視線をやった。
背の高い男子生徒が、真由と私の会話が終わるのを待っている。
(え……?)
立ちすくむ私に、真由が小さくささやいた。
「格好いい人でしょ。同じ中学出身だって子に紹介してもらったの」
「そ……そうなんだ」
男子生徒――都築智先輩は、私の方を見て軽く会釈する。
私もペコリと頭を下げた。
まるで初めて会ったかのようだ。
「んじゃ。体を壊さない程度に頑張ってね、A組の星」
「その呼び方やめてよ……バイバイ」
真由と別れて、私は大きく息を吐く。長く伸びた二人の影は、とても仲が良さそうだった。
「……はあ……」
いけないと思いながらも、ついため息が出てしまう。
真由は私なんかよりも明るい。誰にでも話を合わせることができる。
それに何より、自分から積極的に動いていく子だ。
――私……。真由と比べて、私は。
なんでだろう。
心の中が重たい。
全身が鉛になったみたいだ。
見上げた空は見事な夕焼け。
名残惜しそうに燃え盛る、今日という一日。
赤の上に薄紫の絵の具がにじんで。やがて、ポツリと白い水滴が落ちる。
小さくきらめいた一番星は、まるで涙のようだと思った。

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