現代青春小説「TDライフ」

(C)ジュエルセイバーFREE

月見里 番外編

「うるさいっ! 静かに!」
先生がプリントを取りに行った瞬間、教室は雑音の海と化した。男女関係なく友達同士の会話を始める。数秒もしないうちに、声がひそめられることもなくなった。くだらない話し声は徐々にヒートアップしていく。
クラス替えからしばらく経ち、みんなクラスに馴染んできていた。四月当初にあった緊張感は、もう欠片も伺えない。私はだらけた雰囲気に耐えきれず、教室中を大音量で怒鳴りつけた。
「授業中なんだから静かにーっ!」
精一杯の叫びも、この喧騒の中では大して目立たない。委員長という立場からくる責任感で、私は更に続けて怒る。
「先生が帰ってきたらどう感じると思うの? みんな静かにッ! そこの男子、席を立たない! 今は授業中!」
言われた男子は口を尖らせて、いかにも嫌そうな表情を浮かべた。
「うるさいうるさいって……お前がうるせーよ、斎藤」
「なっ、それは」
カッとなって言い返そうとするが、耳に入った嘲笑に遮られる。
「ははっ、確かに言えてる。うるせーのはお前だよ」
立ち歩いていたのと別の男子が、馬鹿にした口調でせせら笑った。
「委員長だからって調子乗んなよな、いい子ぶりっ子」
「ちょ、調子になんて乗ってない。あんたらがうるさくするのが悪いんでしょ! ――ちょっと、うるさいわよ本田さんたちも」
この間も教室はざわめきに包まれたままだ。名を呼ばれた女子の集団が、眉をひそめて私を睨んでくる。周りの雰囲気が剣呑になっていくのを、私は確かに肌で感じた。
「怖えー。うるさいのは斎藤の方だろ」
「だよなー」
「お前、帰れよ」
痛い言葉にグサリと突き刺され、身動きを取れなかった。
「斎藤、帰れ」
「帰れ、帰れ、帰れ」
一部の男子が始めた『帰れ』コールは、やがて教室中に伝播する。一定のリズムを保ち、手拍子まで加えられた。みんなが口を揃えて同じ言葉を繰り返す。
「帰れ、帰れ」
こんな風にクラスメートが一致団結したのは、今年度になって始めてのことだ。でもその輪の中にクラス委員長の私はいない。
「帰れ、帰れ、帰れ」
喉がからからに渇いているのに、つばをのみ込むこともできない。
私はゆっくりと自分の入っているグループの方を見た。
――助けて。
発そうとした言葉は次の瞬間、舌の上で凍りつく。私が四月から仲良くしてきた友達は、笑っていた。ざまあみろとでも言わんばかりの含み笑いを浮かべている。楽しそうな唇が、みんな同じように動いていた。
『か、え、れ』
純粋な悪意に満ちたその言葉が、私の心を殺していく。
友達、だと。そう思っていたのはどうやら私だけらしかった。
クラスメート全員からの『帰れ』コールは止まらない。私はうつむいて、ぎゅっと拳を握りしめた。クラスメートたちは、私が教室から逃げ出すことを期待している。その表情は無邪気な好奇心に彩られていた。もうここから一目散に逃げ出したいとさえ思う。けれど、逃げ出したらこの悪魔たちの思う壺だ。
「帰れ、帰れ、帰れ」
その三文字が頭の中にぐるぐると渦巻いて気持ち悪い。私が耐えきれずに駆け出しかけたその時――。
何があったのか、ものすごく大きな音が響いた。いや、轟いた。教室中がシンと静まり返り、音のした方へと恐る恐る目をやる。そこには一人の女子生徒がまっすぐに立ち、横になった机を静かに見下ろしていた。引き出しから飛び出したノートや教科書が、床にバラバラと散らばっている。どうやら彼女が自分で机をひっくり返したらしかった。
話したことがないから、彼女の名前はいまいちよく覚えていない。必要以上に出しゃばらないから、クラスの中でも目立たない存在だった。
針を落とせば響くような静寂の中で、彼女はゆっくりと口を開く。
「……今、帰れって言ったヤツ」
よく響く可愛い声で、彼女はすごいことを言い切った。
「全員、帰れ」
教室が不気味な程に静まり返る中、私は呆気に取られてぽかんと口を開ける。その破壊力抜群の一言以外に何も言わず、彼女は机を元通りに直し始めた。
窓から差し込む薄い光の中に、埃がちらほらと舞っている。彼女の肩にのった髪が、動く度にふわふわと揺れた。
沈黙の中で時は過ぎ行き、やがて先生が教室に帰ってくる。こんなに静かなのは初めてだと誉められたが、誰も何も言わなかった。その時になってようやく、助けられたのだと私は気づく。
休み時間になるとグループの子たちが私の前にやってきた。それぞれが手を合わせて、神妙そうな顔で謝る。
「ウチらも怖くて止められなくて……」
「灯ちゃん、本当にごめんねー。これからも友達だよね」
グループの子たちは異口同音に上滑りな言葉を並べ立てる。
「いいよ、別に」
私は小さく呟いて、おもむろに立ち上がった。
――もう、いいよ。
心のこもらない謝罪ほど聞いていて虚しいものはない。
私はとても肝要な事実に気づいた。表面だけの友達関係ほど無駄なものは他にない。
グループの子たちから離れて、私は窓際の席に向かった。先ほど助けてくれた彼女は椅子に座り、なにやら鞄の中を探っている。どうやら次の授業の用意をしているらしい。
私は心臓をばくばくさせて彼女の前に立った。顔を上げた彼女と机越しに目があって、愛想笑いを浮かべる。
「斎藤さん……だよね。どうしたの?」
私が言葉を探していると、彼女は不思議そうに尋ねてきた。名前を覚えてもらえていたことが、少し嬉しい。
「え? えっと……さっきはどうしてあんなことを?」
ずっと疑問に思っていたことを訊けば、彼女は何でもないことのように言った。
「ああいうの、私は嫌いだから。それに斎藤さんは間違ったことを言ってなかったと思うから」
間違ってなかったと言われて、心の奥がじいんと暖かくなる。そんな私を前に、彼女は小さく控えめに続けた。
「でも言い方が多少キツかったかも」
いつもなら反抗していたであろう言葉だ。しかし彼女に言われると、なぜか素直に聞ける。
「……ごめん」
「どうして謝るの?」
彼女は不思議そうに、きょとんとして目を丸めた。
「え? あ……ありがとう。助けてくれて、嬉しい」
私は心の底から、謝罪ではなく感謝の言葉を口にする。
「私、斎藤 灯。あかりっていうの。話したことなかったけど、同じクラスだし、これからよろしくね」
緊張気味に自己紹介すれば、彼女は和やかに微笑んでくれた。目立たないから意識していなかったが、改めて見てみればなかなか可愛い子だ。
「斎藤さんの下の名前、灯っていうんだね」
彼女が呼ぶ私の名前は、どこか優しい響きを持っている。
――この子はきっと裏切らない。
私はそんな確信を感じていた。
さっきみたいな状況になれば、私だってきっと見て見ぬふりをする。友達が困っていても裏切ってしまうだろう。でも、彼女は違った。その強さを私はとても好ましいと思う。
「私は月見里 朝菜。名前で呼んでくれればいいよ。……よろしくね、あかりちゃん」
差し出された手を握り、顔を見合わせて微笑んだ。
穏やかなそよ風が、カーテンの裾を優しくはためかせる。
――こうして私はこの日、一人の大事な親友と出会ったのだった。