現代青春小説「鶴賀マーケス・ファンタジー 金魚すくい」

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– 午後五時 – 第三ゲーム終了間際。

ただひとつ覚えているのは、ごごごごって音。とてつもなく大きな怪物がうなり声をあげているような、そんな音だった。

「あ、おい!」
非常階段の上から、蒼太君の声がする。慌てて駆け出そうとする私だけど、次の言葉で思いとどまった。
「待てって、俺は鬼じゃねえ!」
油断させるための嘘かもしれないと一瞬考えたけれど、それはないなと思い直す。
蒼太君は嘘が壊滅的に下手だ。それはいい人だから良心が邪魔して嘘がつけないというのもあるし、素直で単純すぎてすぐ顔に本音が出てしまうというのもある。
だからもし嘘をついていたら、私にわからないはずがないのだ。
「誰が鬼か分かる?」
私は蒼太君が隣にくるのを待ってから聞いた。会話のきっかけとして聞いただけのつもりなのに、蒼太君はとてもいい情報をくれる。
「理子さんだ。五分くらい前にタッチしたから、もう代わってるかもしれないけどな」
「どこで?」
「五階のキャラクターショップ」
なら、ここはまだ危険地帯ではないだろう。もちろん油断はできないけれど、あまり警戒しなくてもいいはずだ。
私と蒼太君は、非常階段のスペースを抜けて、おもちゃ売り場に入る。
五階から二階から一気にかけ降りたのはさすがに堪えたのか、蒼太くんの荒い息はなかなかもとに戻らない。。
私はさりげなく腕時計を確認した。あと十七分で、今日のゲームは終わる。残りわずかな時間を逃げ切れば勝ちだ。逆にいえば今鬼に捕まってしまったら、他の人を捕まえられずに負けてしまう危険性が高い。だがまあ、こればかりは自らの運に頼るしかないだろう。
(でも、いざとなれば……)
私はちらりと蒼太君の方を見た。偶然視線があってしまい、何? と優しい声で聞かれる。
「な、何でもないよ」
いざとなれば蒼太君にタッチすればいいや、なんて私が思っていることを知ったら、蒼太君は怒るだろうか?
――怒らない気がする。きっと呆れ顔で苦笑して、「仕方ないな、お前は」って言ってくれるんだ。
蒼太君は私に甘い。
私のことを菜摘ちゃんと重ねて見ているのだ。だから私は蒼太君の前では大人しく振る舞う。女の子らしい言葉づかいを心がけるし、できるだけ笑顔でいるようにする。
菜摘ちゃん本人にはなれないけれど、菜摘ちゃんの代わりになら、なれるかな?
――なれるのならなりたいと、心から思う。
それがきっと、蒼太君への何よりもの罪滅ぼしになるんだ。
私たち十数人は毎月一回、ここ、鶴賀マーケスで鬼ごっこをしている。
午前中に一ゲーム、午後に一ゲーム。予め決められた終了時刻に鬼だった人が、敗北者。最後に自分にタッチした人の命令を一つ聞かなくてはならない。まあ、大抵が「御飯をおごれ」程度の命令だけれどね。
私たちを繋ぐ共通点。それは、二年前のあの日、この鶴賀町にいたということ。それと、自分にとって大切なものをなくしたということ。それだけ。別に全員が仲のいい友達同士というわけではない。私と蒼太君は幼なじみだけど……。
鬼ごっこの企画者でありゲームの進行役の浩司お兄ちゃんは高校生だし、私は小学四年生、蒼太君は六年生。みんな年齢も性別もバラバラで、今住んでいるところも違う。それでもこうしてたまに集まって、何もかも全部忘れて幼稚園児みたいに遊ぶ。
こういうの、「げんじつとーひ」って言うんだっけ?
まあ、楽しければ私は何でもいいけど。
「なんか欲しいのある?」
蒼太君に聞かれて、私は辺りを見回してみた。七色揃ったステーショナリーセットが目に入る。私はその中から、オレンジ色のノートを手に取った。
「オレンジ色か、お前、オレンジ色好きだよな」
――『菜摘もだよ』
蒼太君の心の声、言われなくても聞こえてる。
私は本当はブルーの方が好きだった。でも、我慢、我慢。菜摘ちゃんが好きなのはオレンジ色だから。蒼太君の前では、オレンジ色が好きな女の子にならなくちゃならない。
「そういうリングのついたノート、菜摘も好きだよ。よくお絵描きに使ってたんだ」
菜摘ちゃんが好きなものという名の正解を引けて良かった。私はホッと安堵する。
「買ってやるよ。お小遣いたまってるし」
「いいの? なんか、悪いよ」
「いいって。いつも一緒にいてくれるお礼だ。それに、なんかお前って菜摘に似てて、他人に思えないっていうか。そ、その、お前が笑顔でいてくれると俺も嬉しいから」
逆だよ。
お礼をしたいのはこっち。笑顔を見ていると嬉しくなるのは、私の方。
ノートをレジに持っていく蒼太君の背中から、目が離せなかった。
どうして蒼太君が私の隣で笑っていてくれるのだろうかと、時々考えてしまう。
だって、おかしい。
菜摘ちゃんを殺したのは、遥加なんだよ。
「ありがとう。大切にするね!」
もちろんそんなこと、言えるはずもなく。
私はノートをギュッと抱き締めて、蒼太君に笑顔で感謝の言葉を告げた。小さな痛みを、胸の奥に感じながら。
ふと、吹き抜けの方に足が引き寄せられた。ガラス造りの手すりに身を乗りだして、階下のアトリウムを見る。何かのイベントらしく、綿菓子やカステラや、フランクフルトの出店のカラフルな看板が目を引いた。その中の一つ、金魚すくい屋に自然と意識が引き付けられる。水を張られた青く大きなプラスチックケースの中に、赤や黒の点が確かに動いていた。
(あーちゃん……)
意識が記憶の中へとトリップしていく。
お腹に響く太鼓の音、熱気をはらんだ空気、締め付けるような帯の圧迫感、手に持ったビニール袋の中の――。
「こら」
不意に頭をぽんと叩かれて、私はハッとした。振り返れば、蒼太君が優しい眼差しで、ちょっぴり呆れたような口調で言う。
「あんまり吹き抜けに近づくと鬼に見つかるかもしれないだろう」
確かにそうだ。けれどなんだか名残惜しく思えて、私は吹き抜けの下の光景を目に焼きつけようとする。
「なんだ、お祭りが来てるのか。何かほしいものでもあるのか?」
「金魚すくい」
「じゃ、後で行こうな。おごってやるよ」
優しく笑ってそう言った蒼太君は本当に「お兄ちゃん」みたいだった。

二年前のあの日――この地方一体を地震が襲った日――この町にいて、大切なものを失った。それが私と蒼太君の、そして私たちの唯一無二の共通点だ。

あーちゃんと、蒼太君の中の、遥加。
それが、あの日あの地震で私が失ったもの。理子お姉ちゃんや蒼太君やみんなと比べれば、下らないと言われてしまうかもしれない。でも、私には大きかったんだ。
とても、とても。
「あっ」
ぼんやりしていたら、戸棚の向こうから来た人とぶつかりそうになってしまった。
「ご、ごめん」
驚いて謝るその人の顔には、見覚えがある。鬼ごっこのメンバーの一人で、蒼太君の同級生の笹木君だ。私の身体にさっと緊張が走る。
「おい!」
蒼太君が短く鋭い声で叫んだ。私は戸棚につかえないように最大限の注意を払いながら、身体をひく。笹木君は呆気にとられたような顔をして、それから「ああ」と一人納得する。
「言っておくけどさ、僕は鬼ではないよ」
その言葉を拒絶するかのように、蒼太君は私の肩に手を置いて抱き寄せた。
「証拠は?」
警戒しているのがありありと分かる態度に、笹木君は苦笑する。
「これ以上近づかない。それでいいだろ?」
蒼太君はしばらく悩んだようだったけれど、やがてこくりと頷いた。私はおずおずと口を開く。
「あの……」
「ん?」
「あ、暑いよ」
「ああ、ごめんな」
蒼太君は平然とした顔で、抱き寄せた手をどけた。赤い顔を見られたくなくて、私は一所懸命、商品を見ているふりをする。
「本当に君らは仲がいいよね。あの日より以前からの知り合いだっけ?」
笹木君は戸棚の売り物を眺めながら、からかうような口調で言った。
「そうだよ」
ふーん、と笹木君は興味なさそうに呟いた。そんな態度をとるくらいなら話しかけなければいいのに。そう思ってむくれる私の方なんかちっとも見ずに、笹木君は薄く笑った。
「蒼太、その子のことになると過保護だよな。好きなんだ?」
「ばっ……」
ばか、と言おうとしたのだろうか?
蒼太君は途中で口をつぐみ、悔しそうに、「まあな」とだけ言った。
どくんと高鳴る心臓。けれど、次の言葉が、私の心をえぐっていった。
「ていうかさ、妹みたいなものなんだよ、こいつは俺の」
――妹。
蒼太君の、妹。
ぐらり、と地面が揺らいだ。
ああ、地震か。
今度は私の命をとりにきたのかな。
「なあ」
蒼太君の強くて暖かい声が、私に力をくれる。どうやら地震ではなく私が目眩に襲われていただけのようだった。
「大丈夫か?」
蒼太君に、妹だと言ってもらえた。それは私の目標で。蒼太君への、そして菜摘ちゃんへの何よりもの罪滅ぼしで。
さあ、喜べ、私。
必死に笑顔を作ろうとするのに、顔の筋肉がひきつってしまってうまくいかない。思わず顔を覆った両手の感覚で、初めて自分が涙を流していることに気づいた。
「……っ! おい!」
慌てた様子で顔を覗きこんでくる蒼太君。本当に心配そうな表情。 その心配は、いったい誰に向けられたもの?
「どこか痛いのか」
私は横に首を振って、心配しなくてもいいよと伝えようとした。
(あれ? おかしいな)
息ができない。
「大丈夫か? なあ」
優しい声が、痛い。
「……っ」
細くて白い両足が、目の前にちらついた。
そう、それはあの日の光景。ほんの一瞬前まで元気に走り回っていたはずなのに。
私が。
私のせいで――
「ごめん……っ!」
気がついたら、私は蒼太君を押しのけて、地面を蹴っていた。一瞬見えた蒼太君の「え?」って困惑した顔を振り切るかのように、私は無我夢中で駆け出す。
一瞬だけ、浩司お兄ちゃんの怒った顔が脳裏をよぎった。
非常階段以外の場所を走るのはルール違反。鶴賀マーケスの人に迷惑をかけないというのが、この鬼ごっこの大前提だ。
私はしまったと思って足を止める。と、ほんの数メートルのところにエスカレーターがあることに気づいて、それに乗った。迷うことなく下へ。
アトリウムに降りて、上から見ていたのよりも激しい色鮮やかさにびっくりする。
鶴賀マーケスがたくさんの家族連れで賑わっているのは、いつものことだった。
なんたって、この六階建てのデパートは、鶴賀市の経済的な中心地。テナントは全部、地震でぐちゃぐちゃになった旧鶴賀町商店街の人たちが営業している。だから鶴賀マーケスは別名『復興の証』。計画的な町作りがなされて、新しい道や建物がたくさんできて、大勢の人たちが流れこんできて、鶴賀町は鶴賀市になった。それでも、形を変えて商店街は続いている。
変わらないものと、変わっていくもの。
目の前を映像みたいに流れていく人の顔を見て、私は思った。
蒼太君の中の私は、変わっていくことができるのだろうか、って。
「馬鹿みたい……」
私はひとり、小さくつぶやく。自分を叱らなくてはならないと思った。
私は蒼太君の中で、菜摘ちゃんの代わりになりたい。つまりそれは、変わっちゃいけないってこと。だって、菜摘ちゃんは「変わらないもの」だから。あの日、死んで、そのまんま。
私の頭に残るあの子の記憶をたどって、忠実に真似をして。そうしなければ、蒼太君の隣にはいられない気がしていた。
「はあ……」
楽しげに歩くひとたちを見るたびに、苦い気持ちが心を満たす。
菜摘ちゃんやたくさんの人を殺して、残された私たちに深い痛みを刻みつけたこの町が、今は幸せな時間を生み出す舞台になっているのだ。
そういうのってなんか、許せないっていうか、理不尽だ、本当に。
目の前を、男の子と女の子が楽しげに通りすぎていく。その姿があの日より前の蒼太君と菜摘ちゃんに重なって、私は動けなくなった。
私と菜摘ちゃん、それから蒼太君は、幼稚園の頃からの幼なじみだった。家族ぐるみのつきあいってやつで、仲良しさは本当の兄弟と遜色ないくらいだったように思う。
あの日は蒼太君は体調を崩していて、私と菜摘ちゃんの二人で遊んでいた。あーちゃんのいる金魚鉢に、そっと触れる。言い訳をさせてもらえるなら、暑い日だったから、少しでも冷たさを感じたかったのだ。
愚図な私は、金魚鉢を棚から落としてしまう。軽い音が鳴って、金魚鉢だったガラスは透明な水と一緒に砕けた。なんだかそれがとても綺麗で、見とれてしまう。
「何をやってるの、遥加!」
菜摘ちゃんが呆れた様子で私の指を触った。見れば、鮮やかな赤い線が手のひらに一直線に走っている。まるで手相が一本増えたみたいだった。
足元で、ぴちゃぴちゃとあーちゃんが跳ねる。赤い金魚だから、あーちゃん。せっかくお祭りの時にお母さんに買ってもらったのに。お母さんから何かを買ってもらうことはほとんどなくて、だからとっても嬉しかったのに。
あーちゃんはとても苦しそうには見えなかった。踊っているみたいに跳ねていて、でも、その動きも少しずつ弱くなっていく。
「どうしよう。見つかったら、お母さんに」
幼い私が一番に心配したのは、叱られないかということだった。菜摘ちゃんは元気づけるように笑って、安心しなよと私の肩に手を置く。
「納屋に雑巾が確かあったから、取ってくる。あと、包帯もね。ここで手をおさえて、私が戻ってくるまでじっとしてて。大丈夫、こっそり掃除しておけばきっとばれないから」
「本当に……?」
「うん、だから泣かないで。まったくもう、遥加は泣き虫だねえ」
そう言って明るく笑った菜摘ちゃんの背中は少しにじんで、とても頼もしくみえた。
それからしばらくして聞こえたのは、ごごごごって音。とてつもなく大きな怪物がうなり声をあげているような、そんな音。
ただ一つだけ、その音を覚えておこうと思った。その音を合図に、それより前の記憶をすべて私の中から消し去ってしまいたいと、私はそう思ったんだ。
「おい!」
呼びかけられて、ハッと我に返る。アトリウムのベンチに腰掛けて、私はぼんやりとしてしまっていた。振り返れば、そこにはあの頃よりなんだか背の伸びた蒼太君の姿があって、少し頭が混乱する。
「あ、ごめん」
「ごめんじゃないだろう。どうしたんだ、いきなり走り出したりして。心配したぞ。今、笹木もお前を探してくれてる」
「そっか。ごめん」
ごめんじゃないと言われたのに、またごめんと言ってしまった。
蒼太君は大人びた笑顔を私に向けてくれる。あんまり気にしてない様子から、泣き顔は見られずに済んだのかもしれなかった。
「一日逃げ回って、疲れたか?」
「……うん」
こくり、と素直にうなずく。
時計を見れば、ちょうどゲームが終わったところだった。
今日のゲームも、敗北者にならずにすんだ。まあ、勝利者にもなれなかったわけだけど、贅沢は言っちゃいけない。
「戻ろうか。あんまり遅いと、浩司お兄ちゃんに心配されちゃう」
「ああ……えっと、ちょっと待った」
蒼太君が、エレベーターとは違う方向へ一直線に歩いていった。私は不思議に思いながらもその後ろを追いかける。
「金魚すくい、やりたいって言ってただろ?」
そう言って百円玉を二枚差し出されて、私は困ってしまった。
「わ、私、すっごくこういうの苦手だよ」
「ふーん、そうなのか? じゃあ、俺、やってもいい?」
別に駄目だと言う理由もないので、うなずく。蒼太君は嬉しそうに金魚すくいの青いプラスチックケースの方へ向かった。もし蒼太君が犬だったら、しっぽがちぎれそうなくらい振られてると思う。それくらい、嬉しそうだった。相変わらず、単純なひとだ。
「俺、こういうの大好きだー」
大好きというだけあって、蒼太君は上手かった。張られた紙をあまりぬらさずに、淵のところだけで金魚をケースの端っこに追いやる。金魚すくい屋のおじさんが、ちらりとこちらを見下ろし、またよそを向いた。
「……私ね、金魚を飼っていたことあるんだ」
「知ってる。あーちゃんだろ」
蒼太君は余所見をせずに答える。
「うん。あーちゃん。私、大切にしていたはずなのに、死んじゃって、悲しかったなあ」
「ふーん。金魚鉢はあるんだろう。あの後、新しい金魚は飼わなかったわけ?」
「だって、新しい金魚を飼っても、それはあーちゃんではないでしょう」
例えよく似ていたとしても、別の金魚。私にとってのあーちゃんは、あの日、あの時、あそこで死んだあーちゃんだけ。
「それって、深く考えすぎだと思うけどなあ」
黒っぽい金魚が、蒼太君の持った金属の皿の中に滑り込む。
「死んでしまったものはかえらないんだから、死んでしまったものがいた居場所をあけておくことに意味なんてないだろう?」
何気なく言われて、私の心臓は凍りつくかのようだった。
「蒼太君は、心の中に死んでしまったものの居場所、残したいと思わないの? 私、あーちゃん以外の金魚は飼う気がしないよ。だって、あーちゃんが可哀想でしょ。私くらい、ずっと想っていてあげないと」
「想うって、ちょっとそういうのとは違うんじゃないかな? 居場所はわざわざ空けなくてもなくならないよ。だって、思い出っていうちゃんとした居場所があるんだから」
柔らかい口調で語る蒼太君が、とても遠く感じられた。変なの、隣にいるのに。
「うそつき」
「え?」
「蒼太君にとって菜摘ちゃんは、思い出なんかじゃないくせに」
「ちょっと、どうしたんだお前……?」
蒼太君が怪訝そうな顔をする。いつもと違う私に驚いているようだった。私も。私も、驚いている。
自分でも信じられないくらいの冷たく鋭い声が、勝手に口をついて出てきた。胸の奥から湧き上がってくる思い。これが、きっと、私の本音だ――。
「あの日からずっと菜摘ちゃんの居場所を用意しているくせに。私をその居場所に当てはめて、押し込めているくせに。私と菜摘ちゃんを重ねているくせに」
「な、急に何を言ってんだお前。俺はちゃんと、菜摘は思い出にしてる。別に、お前を菜摘の居場所に当てはめてなんか」
「ならなんでいつも菜摘ちゃんが好きだったものや菜摘ちゃんが言ったことを口にするの?」
それは、と蒼太君は言いよどむ。私は、ずっと言いたくて、でも言えなかったことをとうとう唇にのせてしまった。

「どうしてあの日からずっと、私を名前で呼んでくれないのっ?」

遥加。あの日より前までは、そう呼んでくれていたのに。

これは、私に対する罰なんだろうか。
私が菜摘ちゃんを殺したから。
地震の後、大人たちがこそこそ話していた。どうして菜摘ちゃんが納屋なんかにいたんだろう、って。菜摘ちゃんたちの家の納屋はおんぼろで、そのせいで柱が倒れてしまった。
私たちの家は震源地から結構離れていたから、納屋にさえ行かなければ、菜摘ちゃんは死ななかった。その証拠に、私の家も蒼太君と菜摘ちゃんの家も崩れはしなかった。せいぜい棚が倒れたり、ガラスが割れたり、皿が落ちて割れた程度で済んだのだ。
だから、菜摘ちゃんを殺したのは私。
仲のいい兄妹だったから蒼太君の落ち込みぶりは見ていられなくって、何かをしなくちゃと思った。
何か。なにか、私にできること――。
愚図で馬鹿な私が一生懸命考えて、そして思いついたのが、「菜摘ちゃんの代わりになる」ということだった。
「何でって、なんとなくだよ」
私の思考なんか知らずに、蒼太君はさらりと言ってのける。
「それに、お前と菜摘を重ねてなんかいない。だって、重ならねーよ。菜摘はお前より背が高かったし、賢かったし、運動もできたし」
いつも優しかった蒼太君が、これまでは決して言わなかったようなきついことを私に向けて言う。
「お前みたいに泣き虫じゃないし、よく意味の分からないことも言わないし、それに面倒くさくないし」
言い返そうとした唇がわなわなと震えてしまい、ぎゅっとかみしめた。涙がじんわりと浮かんできて、必死で瞬きを繰り返す。
蒼太君が言った通りだ。
私は泣き虫で、愚図で、何もできない。菜摘ちゃんの代わりになんかなれるはずはなかったんだ。
それなのに背伸びを繰り返して。本当に馬鹿で、嫌になる。
そもそも菜摘ちゃんの代わりになろうとしたのは私なのに、蒼太君が私と菜摘ちゃんを重ねていると言って怒るなんて、意味不明だ。
「ごめん。私、なんかもう、よくわかんないや……」
うつむき加減に、金魚の動きをじっと見つめる。
「これまで言ってなかったけど、菜摘ちゃんが死んだの、私のせいなんだよ」
「は?」
蒼太君はぎょっとしたような顔をした。
「私が金魚鉢を割っちゃって、でも叱られるのが怖かったから、内緒で片付けたくて。だから菜摘ちゃんが納屋に雑巾とか包帯とかを取りに行ってくれたの」
「はあ……なるほどな。それでか」
蒼太君はすべてを理解したかのような顔で、深く、深くため息をつく。そして金魚の入った皿を床に置くと、私の頭を優しく撫でた。
「馬鹿だなあ、お前は」
「……知ってる」
本当に、馬鹿だと思う。こんな自分、私がいちばん嫌いだよ。でもどうすれば自分以外の誰かになれるのか、全然わかんない。
「あのさ、俺、なんとなく気づいてたよ。お前が菜摘の真似っぽいことをしているって。なんか、必死だなーって思えて、面白かったよ。ごめん、正直、重ねて見ている部分、かなりあったと思う」
「……うん」
「でも、やっぱり、菜摘は菜摘、お前はお前なんだよ。簡単なことだけど、それだけは間違いない」
蒼太君は私の悩みを軽いものだとでも言うかのように、明るく笑った。ふと蒼太君の手元に目をやり、びっくりする。金魚すくいの網の紙がどっぷり水に浸かってしまっていた。
「そ、蒼太君! 網! 網!」
「うわー、しまった」
何とかまた端の部分ですくおうとするけれど、水をたっぷり含んだ紙は、ぼろぼろに破けてしまう。
「うー。仕方ないなあ、行こうか。おじちゃん、ありがとう」
「頑張ったなあ、坊主」
金魚すくい屋のおじちゃんがまぶしそうに目を細めた。坊主頭なのはおじちゃんの方でしょうと思ったけれど、何も言わないでおく。
ここから一番近いのは、空中階段だった。空中階段といっても、空中にあるわけではもちろんない。一階から五階までまっすぐアトリウムの上空の吹き抜けを通過する階段はまるで天国へ伸びているみたいに見えるから、その愛称をつけられたのだ。
「菜摘はお前がうらやましいって言ってたぜ。表情がころころ変わって、女の子っぽくて可愛いって」
「嘘」
「本当。……みんながみんな、他の誰かがうらやましいと思って生きてるもんなんだと思うよ」
天井からガラス越しに見る空は、綺麗な夕焼けだった。あの日とあまりにも同じ色合いだから、タイムスリップした気分になる。
「これ、やる」
蒼太君は金魚の入ったビニールを差し出してくれた。全部で五匹。私の手のひらには、あの日触ってすぐに消えてしまったのと同じ冷たさが伝わる。
「ありがとう」
あの金魚鉢は割れてしまったけれど、また新しいものを買いに行こうと思った。
思い出は心の中にしまって、そうしてまた、新しい思い出を作りに行こう。
ふと、上の階からピアノの音色が聞こえてきた。澄んだ音が、夕焼け色のアトリウムへと静かに染み入る。
最上階のホールに置いてあるピアノだ。ゲームを終えたメンバーを迎えてくれる音色。
「誰だろう? 理子さんかな?」
蒼太君は少し不思議そうに首をひねる。
確かに、いつも聞いていた理子お姉ちゃんの演奏とは少し違っているように思えた。
音が外れているというか、リズムが上手く乗っていないというか。
ううん、違う。
上手くいえないけれど、教科書どおりでない独特さがあるのだ。
けれどそれは、これまでに一度も聞いたことがないくらい、美しくも切なく、不思議な迫力を持って胸に迫ってくる調べだった。
「急がないと。みんな待ってる」
蒼太君は足を緩め、私に手を差し出した。
「ああ、行くぞ。――遥加」
変わっていくものと、変わらないもの。過去も現在も未来も。すべてを抱えて、この町は今、ここにある。