現代ファンタジー短編小説「濁流の中で」

(C)ぱくたそ

月見里 番外編

「許さない……月見里が何だっていうんだよ」

一人の少年が、小さな拳を力いっぱい握りしめる。幼い顔は敵意に満たされていた。

かなわぬと知っていて、それでもなお相手に向かっていく。

「お前が殺したんだろ! 都築のおじさんおばさんを!」

怒鳴り声は滝のような雨音に押しつぶされる。少年は今にも老人につかみかかろうとしていた。感情に突き動かされる身体に、大粒の雨が打ちつけられている。森に降り注ぐ雨は弱まる気配もなかった。地面はすでに泥の沼と化している。

老人は無言だった。うなずきもしなければ否定もしない。ただ悲しげに立っていた。威厳に満ちた白髪へと、雨粒が降り注ぐことはない。

「お前が!」

少年――陸也の靴が泥まみれの土を蹴った。黒いしぶきが跳ねる。

「お前が殺したんだッ!」

長老の胸元へと手が伸ばされた。その指先で、閃光が弾ける。一瞬だけ薄暗い木々の姿が闇の中に浮かび上がった。

「――っ!」

陸也の体は、数メートル離れた場所に叩きつけられた。何が起こったかはわからない。陸也には、そんなことはどうでもよかった。這いずるようにして立ち上がる。陸也の視界に入るのは、自分を見下す長老の姿だけだ。

「や、止めて!」

後ろから細い腕が伸ばされた。陸也は反射的に腕を振り払おうとする。

「陸也君! もう、もういいから」

小柄な少年が、しがみつくようにして陸也を制止した。

「うるさい」

口に侵入していた雨水を言葉と共に吐き捨てる。雨に濡れた陸也の瞳は、夜の闇よりも黒かった。そして深い怨みの念がにじみ出ている。

「陸也君っ……」

陸也の親友――智は剣のような視線を受けて、はっとしたような表情になった。陸也は智へと噛みつくように言う。

「なんで止めるんだよ! あいつのこと、一番憎んでるのはお前だろ!」

「え?」

その意味がわからずに、智は一瞬だけ硬直した。

「わかっているのかよ、都築 智! 長老は、お前の両親を殺したんだ。危険な任務に放りこんで、見殺しにした!」

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陸也は智のために怒っている。それを智は瞬時に理解した。

陸也は誰よりも友達思いなのだ。智は幼い頃からそんな陸也が大好きだった。

でも長老に向かっていくことに賛同はできない。今の陸也は、やり場のない怒りを長老へぶつけようとしているにすぎないのだ。

「そ、それは里のために」

困惑しながらも智は陸也へ語りかける。

「里のみんなが安全に暮らすためには戦わないといけないんだよ……だから長老は何も間違ってない」

長老は無言のままだった。ここで留まれば陸也は許してもらえるかもしれない。智は言葉に力をこめた。

「里だけが僕ら能力者の帰る場所なんだ。僕の両親はその里を守るために戦ったんだよ!」

里の者にとって長老に逆らうのは御法度だ。例え子供でも許されない。

親友が禁忌に触れるのを、黙って見ているわけにはいかなかった。陸也は智のために怒ってくれているのだ。智は声を張り上げる。

「長老を怒るのは筋違いだよ。長老の判断のおかげで里は守られたんだから」

「里? なんだよ、それ。何でそんなもののために死ななくちゃならないんだよ」

まっすぐな言葉に貫かれて、智は動けなかっだ。陸也が智の手を乱暴に振り払う。

「くだらない。そんなものより、もっと大事なものがあるのに」

その言葉は智の心をえぐった。智の手は知らぬ間に振り上げられていた。それに気づかずに、陸也は言葉を次ぐ。

「お前の両親は、無駄死にし――」

陸也は言うのを止めない。智は振り上げた手を、躊躇なしに振り下ろす。

「……っ」

陸也の瞳が、信じられないという風に見開かれた。痛む頬へと、震える手がのばされる。

「さ……とる?」

困惑する陸也へと、智は怒鳴った。

「否定するなっ! 何も間違ってない。長老もお父さんもお母さんも!」

里よりも大事なものがある。その言葉は、智の両親を否定していた。だから認めるわけにはいかない。

「里より大切なものなんてない……!」

智は必死で自分に言い聞かせた。

「だから否定するな! お父さんもお母さんも正しいことをした。間違ってない!」

智は渾身の力で叫ぶ。声が途切れて訪れた沈黙を、雨音だけが埋めていた。

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降り続く雨が、灰色の空気を地上に押しとどめている。憂鬱な雲が空を覆い隠して、世界から色彩を奪っていた。

見開かれたままの陸也の瞳から、大粒の雫が流れ落ちる。

「なんでだよ……」

つぶやきが、雨の濁流にのって流れた。

「長老もお前の両親も正しいなら、何でお前の両親が死ななくちゃならないんだよ」

言葉をなくした智を前にして、陸也が静かに続ける。

「なんで智とルカだけが取り残されなくちゃならなかったんだよ……」

陸也の肩は、わなわなと震えている。

「なんで……ッ」

それに答える者は、いなかった。

自分の無力さを呪い、二人がそれぞれに決意を固めたあの日――。

心を押しつぶすような濁流が、月見里に延々と降りしきっていた。